東急リバブル「異業種セミナー」に180人 「イチローの心・技・体に学ぼう」講演会
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「不動産コンシェルジュ」活動の一環 東急リバブルは12月2日、同社が日ごろお世話になっている関係者を招いた「異業種交流セミナー」を開き、メジャーリーガー・イチロー選手の恋人役として専属打撃投手を務めた奥村幸治氏の講演会を行った。講演は、イチロー選手の技術の高さだけでなく、優れた人間性、忍耐力、自己管理なども紹介しながら、人としてどう生きるかを奥村氏の体験を通じて分かりやすく紹介する内容で、同社社員と関係者など参加した180余人は熱心にメモを取るなど、奥村氏の話に聞き入った。
イチローの恋人♂恆コ幸治氏が熱く語る 東急リバブルは2007年、社団法人日本能率協会が主催する「2007年度(第20回)能力開発優秀企業賞」を受賞している。能力開発優秀企業賞とは、優れた能力開発活動を行っている企業を表彰する制度で、同社の「不動産コンシェルジュ」を目指す人材育成システムと成果が評価された。 「不動産コンシェルジュ」とは、単なる不動産のプロとしての知識や技術の取得にとどまらず高い人間性を磨こうという全社的な取り組みだ。今回の「異業種交流セミナー」も、同社が日ごろお世話になっている人への感謝の気持ちを込めて行ったものだ。 主催した同社第一統括部第四部長・春原昌明氏は「能力開発優秀企業賞」を受賞した当時、同社経営管理本部人材開発部長を務めており、「不動産コンシェルジュ」の育成に当たっていた。 その後、現職に異動した後も人材教育に力を入れており、今回の講演会はイチロー選手と奥村氏からは「社会人」としても学ぶことが多いとして実施したもの。自らも高校球児として、また、同社に入社してからも野球部の選手として活躍していた。RBA野球大会で総合優勝した平成5年、同7年当時の主力選手だった。 春原氏は、今回の講演会について「社外向けにこのようなセミナーを開いたのは初めて。奥村さんは素晴らしい人。皆さんに真剣に聞いていただいて、感謝していただいたのが何より嬉しい。これからも継続してやっていきたい」と語った。 同社取締役専務執行役員 流通事業本部長・平元詢二氏も 「報告を聞いて感心 している。夜7時からのセミナーに関係者と当社の社員が半々で総計180人余も集り、みんな感動したという。このような自発能動的な取り組みが大切だ」 とエールを送っている。 以下、奥村氏の講演の一部を紹介する。
「心技体」のバランスが抜群のイチロー 「イチローが活躍できるのは心技体のバランスが実によく取れていることです。技術だけならイチローより優れている選手もいるかもしれないが、いつもプラス志向を持ち続けられる精神力はだれもかなわない」「イチローはルーチン、いわゆるメンタル・トレも徹底してやっている。毎朝、カレーライスを食べるのはよく知られているが、攻守交替のとき全力で走ることや、階段を右足から上るのか左足から上るのかも決めているのは理由のあること」 365日3年間続けた10分間の素振り 「奥村さん、僕ね、高校のとき寮生活して毎日365日3年間やり続けたのが10分間の素振りやった」「高校のとき勝てば甲子園の試合で、僕が投げて負けていたのに雨で再試合になった。再試合で僕がホームランを放ったのをオリックスのスカウトの人が見て、誘ってくれた。僕にとっての最高の運やね。再試合にならなければプロに行けなかったかもしれない」 夜中の1時から朝方までバッティング練習 「僕は寮でイチローの隣だったんです。夜の10時ころ、コンコンと壁を叩いても反応なし。寝ているんです。ところが1時ころに打撃練習の音がするんです。イチローが一人練習しているんです。練習は明け方まで続いたことがあります。イチローは3時間でも4時間でも集中することができるんです。『奥村さん、僕ね、その日のうちにやらなきゃいけない目標があるんや。目標をクリアするのが練習。目標は手に届くところに設定して、クリアできたらまた次の目標を設定せなあかん。目標が高すぎるとあきらめにつながる。目標が達成されるとプラス思考につながる』 僕はイチローが20歳のときにこんな話を聞いた」 「お前、生意気や。2軍へ行け」泣き崩れたイチロー 「イチロー選手は19歳のとき、1軍に上がるチャンスがあった。ところが、グリップエンドに小指をかける握り方をコーチから改めるよう指摘された。デッドボールで小指を骨折するというのがその理由だった。イチローは『これが僕の打撃スタイル。当たらなきゃいいでしょう』と答えた。コーチは『お前、偉そうなこというな。2軍へ行け』と2軍行きを命じた。イチローは『奥村さん、悔しい。僕みたいな小さい身体のバッターが生きていくために必要なことや。意味があるんや』と語り、泣き崩れた」
夢の実現へ 頑張れ奥村さん 奥村氏は講演の冒頭、「話は1時間半。皆さんは途中で眠くなるでしょうから、眠くなりそうなときイチローの話をします」と笑わせたが、眠くなるどころか、180人余も集まった会場はシーンと水を打ったように静まり返り、真剣にメモを取る人がたくさんいた。 記者は、話を聞くより会場の雰囲気を取材しようと思っていた。30年間の記者生活で、数え切れないほどの退屈でつまらない講演会につき合わされてきたからだ。もちろん野球は好きだが、記者の仕事に役立つ情報など得られないだろうと高をくくっていた。 ところが、奥村氏が「バッティングピッチャーとしてオリックス球団に入団した」と語りだしたとたん、「この人は面白い。何かある」に変わった。記者魂を揺り動かされた。奥村氏の話を細大漏らさず聞き入った。夢中でメモも取った。取材記者ではなく一人の聴衆となった。 ここで一つひとつ、奥村氏の話を紹介するわけにはいかないが、公式ホームページも開設されているし、「意識 夢を夢で終わらせたくない」(NPO法人ベースボールスピリッツ)「一流の習慣術 イチローとマー君が実践する『自分力』の育て方(ソフトバンク新書)の書籍も販売されているので、読んでいただきたい。 奥村氏は、メジャーリーガーになるには「体と運」が必要なことを教わったという。奥村氏の身長は168センチ。かつて阪神タイガースには牛若丸の異名をとった身長165センチの吉田義男選手(後に監督)が活躍したが、170センチ以下の選手が1軍で活躍するのはまれだ。現在も170センチ以下の選手は12球団の中で数人しか現役登録されていないはずだ。 奥村氏は、その意味で大きなハンディを負っていた。「バッティングピッチャーの枠なら空いている」とオリックスに入団したが、ついに1軍のマウンドに立つことはできなかった。しかし、「普通のことを普通にやってきた」からこそ「運」をつかみ、100人近くも擁する少年野球の監督として、また野球を通じて人としての生き方を語る評論活動をできるようになったのだろう。そもそも寮生活でイチローと隣りの部屋に入室できたのも大きな「運」だろう。 奥村氏が「生きているうちに実現したかった」自前のグラウンドも近く完成するという。記者はこのような野球関係のNPOに金融機関が融資する話など聞いたことがない。 奥村幸治(おくむらこうじ)氏プロフィール イチロー選手が210安打を達成したときに、イチローの専属打撃投手を務めていたことから“イチローの恋人”としてマスコミに紹介され、それ以来、コメントを依頼されての TV 出演多数。中学硬式野球チーム(宝塚ボーイズ)を結成し、監督を務める。一方、講師として各地方で講演活動をする。宝塚ボーイズの教え子に楽天イーグルス田中将大投手がいる。2008年NPO法人ベースボールスピリッツを設立。野球を通じて子ども達の健全な心身の成長を図るとともに幅広い世代交流、地域交流に努める。 |
(牧田 司 記者 2010年12月8日) |