三井不動産前社長・田中順一郎氏のご逝去を悼む
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三井不動産相談役で前社長・会長の田中順一郎氏が1月10日、多臓器不全により三井記念病院(千代田区神田和泉町)で亡くなられた。享年80歳。葬儀・告別式は、近親者のみで執り行われた。同社は「お別れの会」を執り行う予定。 ◇ ◆ ◇ 田中前社長とはここ1年半ぐらいほとんどお会いしていなかった。理事長を務める首都圏不動産公正取引協議会の昨年の総会も欠席された。お体の具合がすぐれないことは察せられたが、訃報を聞いてショックを受けた。 田中前社長は若いころに前の奥さんと死別され、苦労もされている。しかし、社内では死別したことなど一切話さなかったという。落ち込んだところなど見せたくなかったのと、周りに気を遣わせたくなかったからだと聞いた。なかなかできることではない。大変意志力の強い方だと思った。 最後にお話したのは、サブプライム・ローン問題が浮上したときに、その影響について聞いたときだった。田中前社長は、「バブル崩壊も大変だったが、今回も大変だろう。バブル崩壊のとき痛んだのは不動産と金融だけだった。今回は、その影響はあらゆる業種に及ぶだろう。しかし、まあ、バブル崩壊時のように回復まで長期にわたることはないだろう」というようなことを話された。 記者が一番印象に残っているのは、平成10年6月、68歳で三井不動産社長を岩沙弘道氏へバトンタッチされたことだ。バブル崩壊後の処理をほぼ終え、新しい方向を目指す同社にもっともふさわしい、見事というほかない交代だった。交代した年は、「資産の流動化に関する法律」(SPC法)が成立した年で、当時56歳の岩沙氏はその最前線で活躍していた。岩沙社長の就任会見を聞きながら、「三井は変わる」と確信したのを覚えている。田中前社長自身からも「いい交代だった」と聞かされている。 同社はその3年後、防衛庁跡地を6社のコンソーシアムで落札。SPCの手法を最大限に生かし、「東京ミッドタウン」をわずか6年で完成させた。 80歳といえば、現在ではまだ若い歳なのかもしれないが、思い残されることはひとつもないのではないか。同社社長を務めた12年間の大半はバブル処理に終われただろうが、その後は躍進三井≠目の当たりにされたはずだ。 亡くなられる2日前の8日には、三井不動産販売相談役・岩崎芳史氏が、既存住宅流通量が新築の流通量を上回ったことを受けて「不動産流通業に歴史的な夜明けがやってきた」と素晴らしいスピーチをグループ会社の社員総会で行っている。病床の田中前社長にもその声が届いたのではあるまいか。ご冥福をお祈りします。 |
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(牧田 司 記者 2010年1月14日) |