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国政の喫緊の課題――地方の再生

観光都市・伊勢の再生はあるか B


江戸の街並みが保存されている「伊勢河崎商人館」

元気を取り戻す駅前商店街 めいりん村


「明倫商店街」から「めいりん村」に改称し、組合事務所も「めいりん村役場」とし、休憩所も設けられている。左が山田氏が経営する「花園薬局」)

 前述した宇治山田駅前の明倫商店街も元気≠取り戻しつつある。再開発当時から商店街の理事長として再開発組合の組合長として活躍してきた山田喜孝氏(76=花園薬局店主)に話を聞いた。

 「再開発の組合設立については、100軒あった地権者1人ひとりの説得に当たった。私は、病気を一度もしたことがないが、あの時は、歯が十数本抜けた。私は100歳まで生きるつもりだが、もう引退。そんな元気はない」

 歯が十数本抜けた=\―地権者全員の同意を取り付けるためにどんな苦労をしたか、多くを語らなくても理解できる言葉だ。

 

女性の登用 20軒から40軒へ店舗倍増

 


山田氏

 もう引退≠ニ山田氏は語るが、そうではない。一昨年、明倫商店街を「めいりん村」に改称した。組合事務所も「めいりん村役場」とした。訪れる人の休憩場所も確保した。シャッター商店街のイメージを払拭するためだ。そして、出店誘致活動を強化し、20軒まで落ち込んでいたのを40軒まで盛り返した。

 「ええ(いい)雰囲気の街をつくるには女の人の力が必要だと分かったんです。女子部を立ち上げて、明るい街にしようと呼びかけました。ノルマはなし。月1回、会食をしてくれということだけです。それで街はよくなった」

 

 山田氏は、地元出身ではない。大阪で生まれ育った。「薬剤師をしておりまして、薬局店を営んでいました。25歳のとき、家内がこっち(伊勢)だったので引っ越してきたんです。よう流行った。なんでこんなに売れるんだろうと思った。

 今は、当時の仲間もみんな死にましたが、サービスの原点である明るい声と顔、ありがとうの声をかけてきたお陰で、『信者』がいるんですよ。結構儲かっているんです。信者という字をつなげると『儲』けるという字になるのと一緒ですわ。ありがたいことです」

商業を活性化すれば中心市街地の再浮上は可能

 


井村氏

 銀座新道商店街の理事長を務める井村英夫氏(48=洋装店サカエヤ店主)も、商店街の活性化に真剣に取り組んでいる。銀座新道の書店をなくさないよう1000人を超える署名活動を行ったのも、井村氏らが中心になった。

 「私は3代目、25年前にあとを継ぎました。現在は模索の段階ですが、地域に愛される街にしたい。伊勢は、志摩エリアも含めると40万人の商圏がある。ここは買回り品(ファッション、家電商品など)は揃っているが、最寄品(生鮮食品など)が弱い。それで週3回、生鮮食品の市を開いたり、共同宅配も考えています。商業を活性化すれば中心市街地の再浮上は可能。市は調整役として頑張って欲しい」

 

観光都市に欠かせないオンリー1

大伴家持も詠んだ豊穣の伊勢の国

 伊勢には、ナンバー 1 ではなくてオンリー1がたくさんある。「たぐい稀な歴史と伝統」だ。以下に、そのいくつかを紹介する。伊勢でしか体験できないもの、食べられないものだ。

 万葉の歌人・大伴家持が聖武天皇の伊勢行幸にお供した際に謳ったとされる歌がある。

 「御国(みけつくに)志摩の海人(あま)ならし真熊野の 小船に乗りて沖辺漕ぐ見ゆ」

 「御国」とは、伊勢神宮に食料を献上した国という意味だ。歌は、伊勢志摩の漁師が小船に乗って魚を運んでいる様子を歌ったものだ。大小の島が浮かぶ美しいリアス式の海上をぬうように進む小船が眼に浮かぶようだ。

 伊勢志摩は、万葉の時代からおいしい魚介類が獲れた。今でもそれは変らない。「伊勢」が代名詞にもなっている伊勢エビを始め、世界ブランドの的矢(まとや)牡蠣、アワビにサザエ、最近は下関にも出荷しているというあのりふぐが獲れる。「かいづ」という夫婦が抱き合っているようなユーモラスな干物も伊勢志摩でしか食べられない。


やわらかくて真っ白なうどんに、真っ黒なたまりしょうゆを用いたつゆがかかり、青ねぎがかかっているデザイン的にも美しい「伊勢うどん」(河崎町の「つたや」で)


「かいづの干物」(黒鯛の稚魚を腹開きにして干したもの。写真ではよく分からないが、目がうっとりし、まるで夫婦が抱き合っているような姿に映る。記者は夫婦和合の干物≠ニ名づけた)=写真提供:伊勢志摩きらり千選


日本一のきれいな川「宮川」 今も残る江戸時代の面影

 まだある。伊勢うどんに伊勢芋、伊勢しょうゆもある。隣の松坂市には松坂牛もあれば、度会郡には一般の牛乳の2割ぐらい高くても売れる大内山の牛乳がある。伊勢市内を流れる宮川は、四万十川よりきれいな川として知られ、その上流では漁獲高は減っているものの天然のアユが食べられる。江戸時代に問屋街として栄えた河崎の街並みはNPO伊勢河崎まちづくり衆らの活動によって保存されている。

 

(牧田 司記者 1月17日)

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