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知力の退化、体力(営業力)の弱体化はないか

 

「乗り越えられない患難はない」弊紙・久米代表の言葉

 弊紙代表・久米信廣は毎週、「今週の言葉」を半紙に書き、それを営業マンに持たせ、取引先の親しい人に配布している。先週の言葉は「安心せよ! 乗り越えられない患難はない! 心せよ! 試され評価されるを試練と云う」だった。今週の言葉は、「逆境に 弱者は尻込み 強者は喜ぶ」だ。

 知らない人から、いきなりこんな言葉を突きつけられたら、分かっていても反発するだろう。コミュニケーションが取れていれば、なるほど≠ニ頷くはずだ。いま、業界人にとってもっとも必要な言葉だし、励ましの言葉だ。

 このところの厳しい不動産市況のことを考えると、心が痛むばかりだが、この苦境は絶対乗り切らなければならないと思うし、是非とも乗り切って欲しい。

 記者は最近のマンション市況を、バブル崩壊時と比較して考える。当時と比べ、買う側も売る側もいまはまだまだいい環境にある。

 当時のマンション坪単価は都心部で1000万円どころか2000万円もした。ワンルームでも億ションになった世界だった。マンション転がしのおもちゃ≠ノされた広尾ガーデンヒルズは坪3000万円を瞬間的だが突破した。郊外部でも軒並み二百数十万円というのが相場だった。

 住宅ローン金利も公庫基準金利は5.5%だった。その少し前は10%前後だった。返済期間も長期とはいえ、分譲マンションで最長25年とか30年で、中古マンションなどは20年だった。

 それでも、当時のサラリーマンは生活を切り詰めてマンションや建売住宅を購入した。

 その頃といまがどれだけ違うかは説明するまでもないが、「フラット35」は35年の長期固定ローンで、金利は3%前後だ。いくら借りるかにもよるが、購入額で2000万円ぐらいは買いやすくなっているはずだ。設備仕様も昔と格段の差がある。

 価格だって、高くなっているとはいえ、埼玉・千葉の一等地ではせいぜい200万円台の半ばだ。郊外では100万円台前半の物件がたくさん供給されている。バブル期に単価が100万円台前半の物件といえば遠隔地に限られていた。

 物件選択にも、いまは情報にはこと欠かない。以前は、新聞やチラシをストックしないと比較検討はできなかった。いまは、ネットで検索すれば、どんな条件でもヒットする。

 ある意味では、ここ数年間のブームがデベロッパーの考える力を退化させ、体力(営業力)を弱体化させたと思えてならない。

 あるベテランの営業マンがこういった。「営業の基本はフェース・ツー・フェース(face-to-face)」だと。西武不動産流通の最年少所長、金沢文庫営業所長・松本仁氏(38)からは、かつてあるデベロッパーで働いていたとき、電話の受話器をガムテープで耳にくくりつけ、朝の8時から夜の11過ぎまでほとんど休みなく電話営業をしたと聞いた。

 ただの金儲けのための劣悪なマンションは論外だが、生活者の視点に立ったマンションが売れないはずはない。もう一度、足元を見つめなおして欲しい。

 もっとも簡単にヒントを得ようと思ったら、デベロッパー幹部や商品企画担当者は、実際にマンションに入居して調理、洗濯、掃除、布団の上げ下ろしなど家事労働をやることだ。そうすればマンションの欠点が見えてくる。その欠点を補うには、お金なんかかけなくてもできる。とくに厳しい中堅デベロッパーはいまこそ知恵と汗を流すときだ。

 この記事を読まれる方とどれだけコミュニケーションが取れているか不安だが、記者も再度、「乗り越えられない患難はない」といいたい。

 

(牧田 司記者 2月25日)

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