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目からうろこ=@定借や信託を活用した再開発

日本不動産学会「所有・経営分離型再開発の最前線」セミナー


「所有・経営分離型際開発の最前線」セミナー(東京・キャンパス・イノベーションセンター)

 

再開発に賭ける関係者の熱意とエネルギーに感銘

 日本不動産学会が主催したセミナー「所有・経営分離型再開発の最前線−都市再生のビジネスチャンス−」に参加した。セミナーは、定期借地や信託を活用した再開発ビルの経営や証券化の導入、不動産の所有と分離を目的とした事業手法について、成功事例から学ぼうというもの。

 三井不動産ビルディング営業部統括・清水剛氏が「民事信託の活用(千代田区神保町一丁目地区)」について、日本設計建築設計群都市デザイングループチーフプランナー・岡田栄二氏が「商事信託の活用(板橋区成増駅北口第2地区)」について、高松丸亀商店街新興組合理事長・古川康造氏が「定期借地の活用−商店街再生のために−(高松丸亀町地区A街区)」についてそれぞれ講演した。参加者は約60人。

 門外漢の記者には分からない部分も多かったが、関係者が「従来の駅前再開発手法の金太郎飴的ビジネスモデルは破綻した」という点で認識が一致していたのに驚かされた。

 土地の所有と経営を完全に分離した高松丸亀町の事例は目からうろこであった。地方都市で駐車場が付いていない定期借地権付きマンションが早期完売したとの報告にびっくりした。買ったのは高齢者とDINKSが半々という。わずか75人しか住んでいなかった地区居住者を、今後5年間で1200人にしようとう計画だそうだ。地区周辺の民間マンションも活況を呈しているという。

15年間に1700回の会合――神保町一丁目南部

 もう一つ驚いたのは、再開発に賭ける関係者の熱意とエネルギーだった。

 「神保町1丁目南部」の再開発では、昭和62年に地域の借地人組織「地友会」の通常総会で再開発の勉強会をスタートさせて以来、平成15年の竣工・組合解散まで約1700回の様々な会合記録が資料に掲載されていた。15年間に1700回といえば、年間に225回だ。組合の方々や再開発を主導した三井不動産、あるいは行政はほとんど休みなく活動してきたということだ。

 「高松丸亀町」も同じだ。事業着手の平成2年から、竣工した18年の17年間の間、5年間は権利調整と現行法との戦いに費やされたという。

 これは「伊勢の再生」記事でも書いたが、再開発組合の理事長として権利調整に東奔西走した山田喜孝氏(76=花園薬局店主)は、「100軒あった地権者1人ひとりの説得に当たった。私は、病気を一度もしたことがないが、あの時は、歯が十数本抜けた」と語った。

  マンション事業を多く取材してきた記者には信じられないことだ。マンション事業は用地取得から販売まで大規模なものでも3、4年だろう。多くの関係者は早く手離れしたい≠ニ考える。つまり、早く売ってしまい、事業案件を完結したいと。

「(街が疲弊した)諸悪の根源は自分たちにある」という認識


講演する古川氏


  再開発事業には、大変な労力と時間、エネルギーが注ぎ込まれている。気が遠くなりそうな作業だ。そんなエネルギーがどこから生まれるのか、その原動力は何かを講演者に聞いたら、古川氏からはこんな答えが帰ってきた。

 「デベロッパーは仕事でしようが、私たちは無報酬。どうして、そんなエネルギーが生まれるか? それは、息絶える寸前だったからでしょう。私は50歳ですが、20年後、30年後の展望が持ちたかった。街づくりの成果が一つ一つ実を結ぶと、それはそれで楽しいものです」と。

 古川氏は、このほかにも示唆的なことをたくさん語った。

 「(街が疲弊した)諸悪の根源は自分たちにある」という認識だ。大学の先生、専門家などからの指摘については「おっしゃる通り。でも先生は今日、帰られる。俺たちは、一生ここで生きていかなければならない」と、拒絶反応を起こすのだとも語った。つまり、主体者である組合員自身が街を再生しようという考えで一致しないと成功しないということだ。

 「全国の失敗事例を徹底して調査した」というのにも、なるほどと思わされた。失敗事例はほとんどが役所主導で、キーテナントを誘致し、運営もキーテナント次第になる。キーテナントが撤退すれば、一挙に空きビル化し、さらに公的を投入するという悪循環を繰り返しているという。古川氏は「役所はマネジメント機能がない」と言い切った。

 地方の再生を取材するに当たって、非常に参考になるセミナーだった。

 

(牧田 司記者 1月25日)

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