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国政の喫緊の課題――地方の再生

観光都市・伊勢の再生はあるか C


伊勢二見浦の夫婦岩 写真提供:伊勢志摩きらり千選

 

「近江泥棒、伊勢乞食」の意味 顧客主義を貫く伊勢商人

 県民性を表す言葉に「近江泥棒、伊勢乞食」という言葉がある。温暖な気候風土に恵まれ、人情に厚い伊勢の人の特性をよく表した言葉だ。

 窮したとき近江(滋賀県)の人は泥棒して生きようと考え、伊勢の人は乞食になるという意味として伝えられている。

 近江の人には失礼だが、泥棒をするより乞食になったほうが人間的だし、人にものを施す人と人から施しを受ける人が共存できるのが伊勢だ。

 しかし、この説とは違った説もある。商法の手段として言われるもので、近江商人は泥棒のように高飛車に商談を進めるが、伊勢商人は乞食のように腰を低くして商談をまとめるというものだ。この説の通りだと、顧客主義の源流は伊勢商人にあるといえる。

 典型的な伊勢商人を紹介しよう。昭和29年創業の鯛焼き屋「西岡」だ。

 ご主人(77)は2代目だが、昔と変わらぬ味を守りつづけている。10人も座ればいっぱいになってしまう小さな店だが、ひっきりなしに来店や注文の電話が入る。奥さんが「朝5時半に起きてあんこのこしらえ。いつも寝るのは1時過ぎ」と語っているように、その多忙ぶりがうかがえる。 1 日当たり数百個を販売しているのは間違いない。

 東京・麻布十番には日本一おいしい≠ニ標榜する鯛焼き屋があるが、1個150円だ。「西岡」は120円。日本一安くておいしい≠フは「西岡」だろう。


昔の建物が残る河崎町。右はうどんや「つたや」(2軒の建物の破風の形が対照的に丸くなっているのがおもしろい)

 
たいやきや「西岡」


もてなしに欠かせない伊勢のな言葉

 伊勢の人は人情も厚い。語尾に「な」を付ける「伊勢のな言葉」は、京都弁ともまた違ったやわらかい言葉だ。

 「明倫から離れたくないなぁ」と優しい伊勢の言葉で語るのは、明倫商店街の履物屋・樋口商店を女手一つで切り盛りする樋口京さん。


樋口さん

 樋口さんは「23歳のとき大台町から嫁いできました。よう(たくさん)売れました。5年前、主人が亡くなってから後を継いでます。私で3代目。4人の子どもは後を継ぎたくないというし、私がやるしかないなぁ。女ばっかりの街やけどなぁ、ここが大好きやなぁ。人とのつながりを大切にしていきたい」と語った。

 「あんた、おいないな」「酒ばっかり飲んだらあかんな」――それぞれ「あなた、来てください」「たくさん酒を飲んだらダメ」という意味だが、こんな言葉を投げかけられたら、首を横に振る人は誰もいないだろう。

 伊勢の優しいものいいを嘘だと思う人は、伊勢市の広報課に電話してみて欲しい。あれほど丁寧な対応をする広報を、30年の記者生活を続けている記者は知らない。 

 

多くの豪商・文化人を輩出した伊勢

 伊勢志摩からは、偉大な財界・文化人が輩出している。江戸時代に「もののあわれ」を説いた国文学者・本居宣長は松阪市出身だ。その門下生は全国に500人以上いたが、伊勢市周辺にも数十人はいたようだ。伊勢の人の人情が厚いのは、宣長の教えによるところが多いのかもしれない。

 同じく江戸時代に海運・治水事業で名を馳せた河村瑞賢は南伊勢町の出身だ。瑞賢は貧農の息子だったようだが、江戸に出て成功した。

 同じように江戸に出て巨万の富を築いた伊勢商人≠フ代名詞にもなっている豪商・ 三井高利は松阪出身だ。今も 「三井家発祥の地」が地元に残っている。

 憲政の神様≠ニ称された尾崎咢堂や、朝日新聞を創設した村山龍平、外国では黒沢明と並び賞される映画監督の故・小津安二郎なども伊勢・度会郡の出身だ。

熱海をしのぐ旅行客 あふれる観光資源

 お伊勢さん≠ノ豊富な食材、豊かな自然と温かい人情――これほど観光資源に恵まれているところは他にない。おもてなしに必要なものが全て揃っている。伊勢−鳥羽−志摩の広域エリアで考えると、年間宿泊客は350万人を超える。静岡県熱海市をはるかに越える数字だ。

 観光都市・伊勢として再生・活性化ができないはずはない。

(おわり)


宮川(度会町で) 写真提供:伊勢志摩きらり千選


(牧田 司記者 1月18日)

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