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「安芸哲郎お別れの会」に1700名が参会

「安芸哲郎お別れの会」(セルリアンタワー東急ホテルで)

 

 去る1月17日、75歳で死去された前東急不動産社長で現同社相談役・現東急リバブル会長の安芸哲郎氏(あき・てつろう)氏の「安芸哲郎お別れの会」が3月14日、渋谷・セルリアンタワー東急ホテルで行われた。会は東急不動産(植木正威社長)グループが招待した関係者を中心とする午前の部と、一般の人などを中心とする午後の部に分かれて行われ、双方で約1700名が参会した。参会者の声を拾った(順不同)。

「生涯、現場主義を貫いた人」(涌井氏)

 涌井史郎氏(元石勝エクステリア社長、現桐蔭横浜大学・医用工学部特任教授)「何事も事業で一番大事なのは現場主義。それも鳥のように空から俯瞰して事業を組み立てるのではなく、虫の視線で組み立てていくことが大事。安芸さんは、そのような現場主義を生涯貫き通した人。野武士のような人だった」(かつて記者は、涌井氏から「木の名前と、鳥の名前と、虫の名前を覚えると、1歩歩くごとに人生3倍楽しくなる」ということを教わった)

「安芸さんと私は同じような人生を歩んできた」(高城氏)

 城申一郎氏(住友不動産会長)「安芸さんと私は、よく似た人生を送ってきた。それぞれ社長に就任したのも同じ頃だった。私が不動産協会の理事長で、安芸さんが副理事長を務められた。とても高い理念、哲学の持ち主だった」

高城氏と奥様

「共に戦った戦士のような仲」(南氏)

 南敬介氏(東京建物会長)「本当に立派な方を亡くした。安芸さんとは、土地税制などでよく論議した。共に戦った戦士ですよ」

「街づくりについてたくさん薫陶を受けた」(降旗氏)

 降旗毅氏(元東急不動産専務)「安芸さんが昭和29年入社(東急電鉄)。私が34年入社。開発関係でずっと一緒に仕事をさせていただいた。思い出はたくさんあるが、柏ビレジや土気の開発など街づくりについていろいろ薫陶を受けた。中でも、宮脇壇さんに柏ビレジの街づくりを手伝っていただいたのは思い出深い」(柏ビレジは、その後デベロッパー各社のモデル団地になった)

「どっしりした方だった」(宮内氏)

 宮内義彦氏(オリックス会長)「東急不動産さんとも安芸さんとも、私どもも不動産の仕事で接点がございました。安芸さんはどっしりされた方でしたね。(最近は素晴らしいマンションを次々供給されているが)マンションは売りものというより資産として残るものですから。神経を尖らせていいものを造るのが大前提。そうして信用されるようにならないと、生き残れない」

 

 以下は、当日参会者に配布された東急不動産・植木正威社長の「御礼文」

御礼

 本日はご多用中のところ、故 安藝哲郎の「お別れの会」にご参会いただき、誠にありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。

 故人は、去る1月 17 日、 75 歳にて永眠いたしました。昭和 29 年東京急行電鉄株式会社に入社、翌昭和 30 年まだ設立間もない東急不動産株式会社に転じ、以来一貫して不動産業に従事し、会社の基礎形成に力を尽くしました。

 昭和 60 年には社長に就任、 15 年間の長きにわたり、激動の日本経済のもと、最高責任者としてリーダーシップを発揮しました。

 その間、業績の向上に心血を注ぐとともに、事業の多角化や不動産関連事業の育成にも精力的に取組み、株式会社東急コミニュニティー、東急リバブル株式会社を上場させるなど、一不動産会社を総合不動産グループへと大きく成長させた偉大なる功労者であります。

 平成 12 年に取締役会長、平成 16 年に取締役相談役就任以降も経営に熱意を燃やし続け、およそ半世紀にわたり社業の発展に多大なる貢献をしました。

 一方、社団法人不動産協会副理事長、社団法人日本不動産鑑定協会会長などの要職を歴任、不動産業に関わる諸制度の整備や業界の発展、地位向上にも力を尽くすと同時に、旧建設省中央建設業審議会委員や旧国土庁土地鑑定委員会委員など多くの公職につき、社会の諸問題解決にも協力を惜しみませんでした。

 故人は、東急グループに受け継がれる「進取」の精神をまさに実践してきた経営者であり、いまもってその指導者を失ったことに言い難い痛みを感じます。

 我々は、社業発展に注いだ故人の情熱を引き継ぎ、今後とも更なる飛躍に向けて一丸となって驀進して参る所存です。

 最後に、生前皆様から賜りましたご厚誼ご高配に対しまして、心より感謝申し上げ、ご参会の御礼とさせていただきます。誠にありがとうございました。

 平成 19 年 3 月 14 日

東急不動産株式会社
取締役社長 植木 正威

 

 

(牧田 司記者 3月14日)

 

 以下に1月18日付の記事を再録します。

「不動産業界の良心」 安芸哲郎氏逝く

 前東急不動産社長で現同社相談役・現東急リバブル会長の安芸哲郎氏(あき・てつろう)氏の訃報を聞いた。

 訃報によると、17日午前6時22分、敗血症のため東京都新宿区の病院で死去、75歳。徳島県出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。後日お別れの会を開く予定だという。

 安芸氏は、記者にとってもっとも印象に残る業界人の1人だ。

 主にマンションや建売住宅を取材してきた記者は、マンションや建売住宅は一度見たらほとんど忘れないが、会った人はすぐ忘れしてしまう。ところが、安芸氏は今でも初めてお会いしたときのことを鮮明に覚えている。

 あれは、同社の代表的な団地の一つ「柏ビレジ」の事業着手の記者発表のときだったから、安芸氏は確か常務をされている頃だろう。安芸氏は、熱っぽく街づくりについて語った。そのときの印象は「こんなに真剣に街づくりを考えるデベロッパーってあるのか」というもので、「安芸さんって素晴らしい。こういう人が社長になるのだろう」と思った。

 「柏ビレジ」は、故・宮脇壇氏が担当、シンボルツリーやグリーンゾーンを設け、アイビーとレンガで街並みを統一した当時としては画期的な街だった。同社の代表的な団地であるとともに、昭和を代表する街でもある。その後、この団地を参考にした街づくりが広がっていった。

 その後、昭和60年、安芸氏は東急不動産社長に就任したから、その通りになった。社長になられてからも、何度もインタビューに応じていただいた。「不動産業界の良心」を代表する方だった。

 一つだけ、申し訳にない記事を書いたことがある。平成7、8年のころだった。バブルが崩壊して業界にとっては最悪のときだった。安芸氏は、地価が下がり、デフレが進行し、住宅が売れない現状をありのままに話された。

 記者は、安芸氏のその言葉を「安芸社長ぼやく」と見出しにとり、同社広報に大目玉を食らったのだ。

 その後お会いした安芸社長に謝り、「気にしなくていい」と仰っていただいたが、今でも勇み足≠思い出す。

 心からご冥福をお祈りいたします。合掌

 

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