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10指に余るRBAの元プロ野球選手

 RBA野球大会には、元プロ野球選手が10指に余るほど参加している。詳しいデータは残っていないが、記憶をたどりながらRBA野球の歴史に花を添えた元プロを紹介してみよう。

大京には山本雅、長崎慶一、屋鋪ら

 第1回大会から9回大会まで参加していた大京には左殺し≠フ異名をとった山本雅夫氏(南海−巨人−近鉄)が4番を打っていた。同チームは通算3度の総合優勝を飾っているように、当時は最強チームと呼ばれ、山本選手も大活躍した。

 大京チームには、このほか長崎慶一氏(大洋−阪神、現荒川区議)や屋鋪要氏(大洋−巨人)が在籍していた。長崎氏は大洋時代に首位打者にもなった強打者で、阪神時代には西武との日本シリーズで満塁本塁打を放っている。

 屋鋪氏は3度の盗塁王に輝いた選手で、大京チームでも盗塁を試みたことがあるが、当時の旭化成ホームズ・小泉捕手は盗塁を阻止したことがある。

掛布、バース、岡田から3連発を打たれた佐野捕手も

 大京には、近鉄−巨人の捕手として活躍した佐野元国氏も在籍していた。佐野氏は、77年、近鉄に入団。当時の近鉄には梨田、有田らの名捕手がおり出場機会に恵まれず85年、巨人に移籍。同年の阪神戦に槙原とバッテリーを組み、掛布、バース、岡田から3連発を打たれた。88年、現役引退。大京では投手として活躍した。

ロッテ時代の落合監督らとプレーした高橋選手は元扶桑監督

 大京グループの扶桑レクセルには、元ロッテの高橋忠一氏が監督兼野手として活躍した。ロッテには84年から90年まで在籍。当時のロッテには村田投手や落合、リー選手などそうそうたるメンバーが揃っていた。扶桑レクセル監督としては、強豪チームに育て上げた。退社したその年、扶桑レクセルはブロック準優勝している。

ユニベルには元巨人の二宮、庄司氏ら在籍

 第4回大会で東急リバブルを破り総合優勝したユニベルには元巨人の二宮至氏や庄司智久氏などが主砲として活躍した。元プロが何人もいるチームと戦った当時のリバブルは強かった。

元オリックスの庄司(ケン)は優勝の立役者

 現在も元プロの選手が2人在籍している。ケンコーポレーションの庄司大介選手と三井リハウス東京の斎藤直哉選手だ。

 庄司選手は静岡・静清工高−国士舘大−河合楽器を経て、オリックスに00年入団。公式記録は3打数0安打。一昨年、ケンコーポに入社。投げて打っての大活躍をしている。和製カブレラ≠フような体つきだが、趣味はピアノの調律というから心はやさしい?

元阪神の斎藤(三井リハウス東京) はRBA1の長身

 斎藤選手は城西大付属川越高校出身で84年、ドラフト外で阪神に入団。85年のウエスタン対近鉄戦で9回完了までノーヒットノーラン。翌86年は27試合に登板、8勝1敗で勝率1位に輝いている。肩を痛め89年退団。公式記録は登板4試合0勝0敗、防御率 10.38 。身長189センチはRBAナンバー1。愛称はキリンちゃん≠セそうだが、39歳になり、かつての色男の面影は?

元広島の住友不動産販売・伊与田選手は異動

 このほか、住友不動産販売には、元広島−ロッテの伊与田一範氏が在籍している。RBAにも出場に意欲を見せていたそうだが、地方転勤で今年の出場はなさそうだ。

 伊与田氏は江藤二世≠ニ期待され96年、広島入団。00年、初安打初本塁打を記録。01年、広島を自由契約となり、ロッテにテスト入団。03年退団。通算73打数14安打4本塁打。

元ロッテの倉持氏はリストのコーチ

 元プロで、リストのコーチを務めているのが倉持明氏だ。

 倉持氏は70年、ヤクルトからドラフト指名されるも拒否し日本鋼管に入社。72年、ドラフト4位でロッテに入団。その後クラウン−ロッテ−ヤクルトで活躍。83年に現役引退。80年にロッテでパリーグ最多の18セーブをマーク。「炎のストッパー」と呼ばれた。現役時代から「アートネーチャー」の CM にも出演していたことで知られる。現在、千葉テレビの野球解説者でもある。

6大学通算31勝の志村氏はRBA看板投手

 プロ野球経験者以外でも、RBAには燦然と輝く大学野球記録の持ち主がいる。慶大出身の志村亮氏と明大出身の和泉正広氏だ。

 志村氏は、昭和63年のプロ野球ドラフト会議の直前、「野球は趣味で」という名言を残し、巨人の指名を断り三井不動産に入社した。現在でも看板投手だ。6大学通算31勝は、故・藤田元司氏と同じ歴代13位。

6大学10打数連続安打の和泉氏は元大京監督

 かつて大京の監督を務めた和泉氏は、昭和45年の秋の6大学リーグ戦で10打数連続安打を放っている。現在でも記録保持者だ。首位打者は、あと一歩のところで逃したと聞いた覚えがある。

(牧田 司記者 2006年6月29日)

(注)庄司氏は2007年に退社され、三井リハウス東京・斉藤氏も最近はほとんど試合に出場していない。