仕事もナンバー 1 のRBA女性選手
サンフロンティア不動産・佐藤文恵さん
RBA野球大会に、2人目の女性選手が出場した。
サンフロンティア不動産の流通事業部に席を置く、入社3年目の佐藤文恵さん (24歳 ) だ。
身長156センチ。体重は「サバ読んでもいいですか。 ( やや間があいて )46キロです」。
容姿については触れない。写真を見ていただければ一目瞭然だからだ。
記者は、初の女性選手、タカラレーベンの田辺愛さん (25) に初めて会ったときと同様、
舞い上がってしまった。
「新人賞はひたすら失敗することを心がけたから」
「とにかく社長( 堀口智顕氏)が熱いんです。その熱いのが好き」。開口一番、彼女はこういった。
彼女を熱くさせるのは何か。それは入社試験にさかのぼる。
彼女は最初、飲食関係が志望だった。「なんとなく利他主義(同社の社是)って何よって、
会社説明会を聞きにいったんです。その時の社長の熱さに感激しました。
『何も知らなくてもいいんですか』と聞いたら、先輩社員が『やる気があればいいよ』と言ってくれたんです。
『そこですぐ決めました。ここなら頑張れると』」
入社1年目で彼女は約20人の新入社員の中で最優秀新人賞を受賞する。
1年間、彼女が心がけたのは「第一に、電話を一番早く取ること。
第二は、お客様に教えてもらうこと。お客様のほうがよく知っているから。
そして第三は、ひたすら失敗すること」
「新人賞をいただいたのは、一番失敗の数が多かったからだと思っています」
「2年目はみんな回りの人に助けられたから」
そして2年目。彼女は担当した売買部門の全スタッフ20人の中で最優秀賞に輝く。
「うちはノルマがないんです。私一人じゃなくて、みんな回りの人に助けてもらった。
特に監督 ( 長谷川進一常務 ) の熱意に引っ張られて…そのお陰だと思っています」
「走るとお腹の肉が重くって」
初出場の試合で4打数1安打1打点の大活躍をした彼女の球歴らしきものはほとんどない。
「ソフトは中学校までやっていましたが、それ以後は地元のママさんソフトに入れてもらって楽しむぐらい。
野球は知らなかったんです。塁が遠いとか、リードしてもいいとか。球種がいっぱいあるとか。
走るとお腹の肉が重くって。牽制球って、怖いですよね。打つのは全然怖くないけど」。
趣味は「野球を見ながらビールを飲むこと、というより飲めるようになったんです」
「次は盗塁をしたい」
同社の次の相手は、昨年負けている強豪チームの三菱地所だ。
野崎勇司主将は「今年から宅建を取らなければならない社員は試験が終わるまで出れなくしたんです。
だから彼女も出さざるを得ない」と、彼女を先発で出場させることを明言した。
三菱地所は誰が投げるか分からないが、記者が三菱地所の投手ならどんなピンチの場面でも、
彼女にはど真ん中のハーフスピードの直球しか投げない。さてどうなるか。
彼女の次の目標は「盗塁したい」だ。
すぐやる 必ずやる できるまでやる
同社のスローガンはすぐやる 必ずやる できるまでやる≠セ。
彼女が頑張れるヒントはこのスローガンにある。
そして、もう一つ「失敗も出来ない人がいる」と語った野崎氏の言葉がズシリと響く。
(取材:平成16年7月 牧田司記者)
次代のスター育成に全力東急
東急リバブル渋谷センター 春原昌明 センター長
東急グループの城下町、渋谷。
その南口を降りると、すぐ「LIVABLE」の巨大な看板が目に飛び込んでくる。
そこが、東急リバブルネットワークの頂点に立つ「渋谷センター」だ。
いわば、リバブルの顔≠ナあるその店を預かるセンター長は、
あらゆる意味でリバブルを代表する人材にのみ許される名誉。
その渋谷センター長を務めるのが、春原(すのはら)昌明氏(37)。
入社以来、常にトップ営業マンの名を欲しいままにし「リバブルに春原あり」
と全社員から一目置かれる存在だ。「仕事は定時で終わらせるべき」と語りながら、
見えないところでしっかり汗をかく。
野球選手を夢見たかつての高校球児が「リバブルナンバー1」の称号を得た。
舟積取締役も絶賛 「センター長に相応しい男」
渋谷駅南口「東急プラザ」エレベータを 6 階で降りると、大銀行のようなロングカウンター越しに、
整然と働く数十人の営業マンが見える。
郊外の仲介店舗のようなチラシはほとんど見当たらない、開放的で落ち着いたフロア。
物件情報は、2台の端末と情報コーナーに集約されている。その奥には、
大小いくつもの接客スペースが立ち並ぶ。
この造り、規模だけとっても渋谷センターが他の営業所やセンターと一線を画す「ケタ外れ」の店だとわかる。
実際、あらゆる面でスケールが違う。売買仲介営業スタッフだけで32名と、同社の標準的な店舗の5倍。
集まる情報量も違えば、取り扱う物件も違う。
松涛や南青山、麻布といった高級住宅街に立地する超高額物件が多くを占め、スーパー富裕層の顧客も数多い。
通期の売買仲介手数料額も、12億円を突破する。
1店舗があげる収益規模でみれば、大手他社の基幹店舗と比べても勝るだろう。
まさに「流通業界を代表する店舗」であり、そのトップには代々、
リバブル屈指の実力を持つ営業マンが選ばれてきた。
RBA野球大会でも3回優勝を飾っている「東急リバブル野球部」前監督・舟積一洋氏もその1人だ。
営業成績は常にトップクラス。中途採用から、渋谷センター長に抜擢。
今では、取締役にまで上りつけた。その舟積氏からバトンを引き継ぎ、
舟積氏をして「彼こそ渋谷センター長に相応しい男だ」と絶賛するのが、春原氏だ。
4期連続で達成率ナンバー1の偉業成す
理工系大学出身にもかかわらず「人と接する仕事に就きたくて」と、東急リバブルに入社したのが、平成元年。
藤沢営業所で営業マンとしての第一歩を踏み出す。
湘南エリアは、東急ブランドの神通力も弱く、取引価格も弱含みだった。
ライバル会社との競合も熾烈だった。そうしたアゲンストの環境下で、春原氏は奮闘。
渋谷、たまプラーザ、横浜といった東急沿線のトップ営業マンに肩を並べる営業成績を続け、
ついに平成7年下期、達成率でリバブル全営業マンの頂点に踊り出る。
それから9年上期まで、4期連続で達成率200〜230%でその座をキープした。
決して恵まれた環境ではないなか春原氏が心がけたのが「絶えざる情報提供と、真摯な営業姿勢」と、
「一度お付き合いしたお客様とは、一生お付き合いをしたい」という、仲介営業マンの基本中の基本だ。
それは、管理職になった今でも、全く変わることがない。
「売り客は買い客になり、また売り客になる。
ですから、私の顧客リストは増えることがあっても減ることはありません。
今までのお付き合いの中で100%を達成し、残りの100%は新たなお付き合いと、
地道な努力で獲得しています」
「仕事場はグラウンド」「私の仕事は気づかせ屋=v
「地道な努力」というと、真夜中まで残業、朝からポスティングといった光景が浮かぶが、
春原氏はそれを良しとはしない。
「通常勤務時間をいかに濃密に過ごすことができるか、いかにお客様のために使うことができるかが一番大事」。
だから、定時で帰宅し、家族と過ごすことを心がけた。
その一方で、勤務時間のほぼ全てをお客様との時間に充てるためには、
書類作成を自宅で行う「努力」は惜しまなかった。
藤沢営業所で10年間、副所長まで上り詰め、渋谷センターの副センター長を経て、
舟積氏に代わってセンター長となったのが、平成14年4月のこと。舟積氏時代を含めて、
春原氏が着任以来、渋谷センターは常に営業目標をクリアし続けている。
リバブル屈指のトップ営業マンも、
今では42名の部下にどれだけ良い仕事をしてもらえるかに腐心する管理職となった。
「私が常に言っているのは、仕事場はグラウンドと一緒≠ニいうこと。
だから、会社にいる間はいつも真剣に。良い仕事のできる精神と肉体をキープして欲しい。
逆に、仕事から離れたら思いっきりリフレッシュする。このメリハリが必要」
渋谷センターは、全国から選りすぐりのトップ営業マンが集結する一方、
新入社員が毎年5名程度配属され、仲介のイロハを学ぶOJT店舗でもある。
「以前、野村監督が監督は気づかせ屋だ≠ニ言っていましたが、私の仕事も同じ。
経験の浅い彼らに、どうすれば良い仕事ができるか、私の経験則から気づかせてやる。
自分の後姿を見て、どれだけ多くのスタープレーヤーを育てることができるかがこれからの課題です」
高校で野球部を立ち上げ リバブル黄金時代の一員
グラウンド∞野村監督≠ネどの言葉が再三出てくるように、春原氏は大の野球好きでもある。
春原氏のお父さんが高校球児で、長野県上田市のリトルリーグを立ち上げている。
そんなお父さんの影響を受けて、春原氏も小学校時代から野球を始める。
上田染谷高校に進学した当時は野球部が無かったため、2年生のとき自ら野球部を立ち上げ、
いきなり県大会でベスト8に導いている。
リバブル入社後は、野球部の黄金時代の主力メンバーとして役割を果たした。
絶えず1、2番を打ち、チャンスメーカーとしてきっちり仕事をこなしていた。
当時、野球部部長だった元ティ・エル社長、茂木達男氏は「春原が、春原が」
と事あるごとに春原氏を頼りにしていた。
今は野球部員としての現役を退いた格好だが、かつて高校野球部を立ち上げ旋風を巻き起こしたように、
渋谷センター長でも本業のスタープレーヤーをたくさん育てるに間違いない。
(取材:平成15年10月 福岡伸一・牧田司記者)
仕事も野球も基本は「ハート」
三井リハウス東京 東陽町店 安西幸次郎 店長
(安西氏は現在、三井のリハウス船橋店店長としてご活躍されています)
RBA野球大会を、毎年のように盛り上げるチームがある。
「三井のリハウス」だ。平成4年から参加する同チームはまだ一度も優勝はないが、
毎年のように強豪チームを破り、波乱を巻き起こす。
しかし、その一方で格下と思われるチームにコロっと負けたりもする。
そんな面白いチームをまとめているのが、監督で東陽町店長を務める安西幸次郎氏(38歳)だ。
野球だけでなく、本業の仲介業でも優秀な社員をまとめ、激戦地で奮闘している。
「入りやすい店」目指して 店舗デザインを一新
「三井のリハウス東陽町店」の出店は、平成7年。安西氏は、出店当初から勤務している。
店長に昇格したのは、平成12年4月だ。安西氏が店長としてまず手がけたのは、店舗のリニューアルだ。
「前任の店長とも相談しながらやったことだが、目指したのは従来の不動産屋のイメージを変えること=B
オフィスのようなデザインではなく、床や壁はベージュなど暖色系を用い、温かみのある店舗にした」。
その結果、お客様からは「不動産屋らしくない、入りやすい店舗になった」との評価を受けたという。
良い営業マンは「よく話を聞く」
同店には、安西氏をはじめ大野忠士氏らRBA野球に参加している営業マンが3人おり、
いずれもトップクラスの営業成績だ。
安西氏は「企業秘密」としか答えてくれないが、営業マンとして実績をあげるヒントを、次のように語る。
「当たり前のことだが、お客様の言うことをよく聞くこと」。
もちろん、お母さんが子供に向かって諭すような類の聞くではない。
ヒントとは「なぜ売るのですか?なぜ買うのですかをきちんと尋ねることから始める」ということだ。
「実は、これがなかなか出来ているようで出来ていない。
しかし、お客様と商談するわけですから、本気になって相談に乗ることが必要。
信頼関係が築けないとダメ。実績があげられるかどうかは、ここがポイント」
新築との競合でも「けなさない」
安西氏は、江東区のマンション仲介事情を、次のように分析する。
「江東区ではここ数年、大手の出店が相次ぎ、大激戦の地域だ。
東陽町に限っても、当社をはじめ住友不動産販売、野村不動産アーバンネット、
有楽土地住宅販売、オークラヤ住宅さんなどが出店している。マーケットも、確実に拡大している。
東京や銀座まで電車で10分、タクシーでも2000円前後という足回りの良さがある割に
坪単価が新築でも170〜180万円と安く、ベイエリアにも近い」
中古マンション仲介の仕事は、当然新築マンションとも競合する。
新築より、こちらの中古のほうが良いですよ≠ニも言いたくなるが、
そうした新築マンションをけなすような営業は一切行わない。
「そんなことをしたら、自分達の首を締めるようなもの。長い目でみれば、
そういうお客様方は、潜在的な顧客なんですから」
豊富なデータ頭脳に 瞬時にアウトプット
業績を伸ばせるもう一つのヒントは、その情報収集能力だ。
仲介会社ナンバー1の三井のリハウスネットワークを生かすのはもちろんだが
「今のお客様は、いろいろな所から情報を収集できる。
いかに、正確で適切なアドバイスができるかどうかがカギ」という。
安西氏の頭の中には、区内のマンション価格相場、特徴などが全てインプットされている。
瞬時に引き出せないようでは、営業マン失格という。
仕事はハードだ。毎日帰宅は夜10時過ぎ。
それでも頑張れるのは「仕事が好きだからでしょう。お客様に育ててもらえるという歓びも大きい」
夢は「地元の方達にもっともっと認知してもらって、不動産だけでなくいろいろな事でご相談に応じられる。
愛してもらえるというか、可愛がってもらえる店舗にしたい」と語る。
野球を通じて取引 大きいRBAの貢献
「RBA大会に参加したのは平成4年。翌年、当時無敵の王者として君臨していた大京相手に好投し、
その年のオーストラリア遠征に岡住さん(東急リバブル)、江川さん(三井不動産販売)、
土屋さん(テーオーシー)などと一緒に連れて行ってもらった。
これまで何回か欠場したことがあるが、ほとんど毎試合出ている。
野球は大好きで、会社以外のチームにも参加している。4月から9月にかけては、月に2回は朝3時半起き。
野球をやってから仕事に出かけている」
「生まれは江東区なんですが、好きなチームは中日。
巨人や貴乃花(相撲)、かつてのヴェルディ川崎(サッカー)など、強いチームが嫌いでしたね(笑)」
野球をやっている人は、仕事もデキル人が多い。安西氏もそうした人の1人だ。
「要はハート。仕事は仕事。遊びは遊びとメリハリを付けられるということ。
平成15年4月から麻布十番店の店長になった小泉賢太氏は、平成10年からRBA野球大会に出場しているが、
これまで全試合全イニング出場している。試合のある水曜日には、仕事を入れない。
だから、仕事にも全力をかけられるんです」
「RBA野球を通じて、仕事面でも取引をさせてもらったり、勉強させてもらったりしています。
同じ区内で店舗を構えているオークラヤ住宅の松尾さんや、
(以前、木場営業所にいた)ナイスの芦沢さんなどとも知り合えた。
RBAは、ビジネス面でも凄い貢献をしていると思いますよ」
(取材:平成15年10月 牧田司記者)
社会貢献できる最高の仕事
「ナイスの仲介」綱島店 芦沢常法 所長
芦沢常法(つねのり)氏、 37 歳。ナイスの仲介・綱島店所長。
RBA野球屈指のスラッガー。外見通りの豪放な性格、かつプラス思考の楽天家、無二の愛妻家でもある。
スポーツに、遊びに、アルバイト、思いっきり楽しんだ学生時代から一転。
待ち受けていたのは、バブル崩壊で冷え切ったリゾート販売に、同社が出資する地元ケーブルテレビ会社への出向…。
並の人間ならめげるところを、持ち前のプラス思考で逆に楽しんでしまう。
そしてついに、不動産仲介業の奥深さに出会う。「不動産仲介は、社会貢献できる最高の仕事」と言い切る、
芦沢氏にこれまでの人生を振り返ってもらった。
バブル崩壊乗り越え出会った「究極の営業」
「これは大変な仕事だな。今までやってきた仕事より、はるかに難しい」…。
平成 10 年6月、芦沢氏が住宅営業部から仲介営業部・木場店に異動したときの第一印象だ。
「いままで、総合デベロッパーでの仲介の仕事といえば、
どちらかといえば新築販売の裏方≠フようなイメージがあった。事実、私もそう考えていた。
だが、そんなに生易しい仕事じゃなかった。お客様が倍(売主と買主)になるし、
それぞれのニーズを満たすため、豊富な知識も必要だ。
よく、ろくに研修も受けさせないで新人に仲介営業をやらせている会社があるが、とんでもない話。
きちっとした心構えのない人はやってはいけない仕事だ。そうでないと、性格が曲がる」
芦沢氏も、まずはできることから徐々に、仲介業に取り組んでいった。
そして、気が付いたときには、その奥深さにすっかり魅了されていた。
「売主と買主に感謝され、日本経済にも寄与できる。
社会に出て何か貢献したいと思っている人にとって、不動産仲介は最高の仕事だと思う。
まさに究極の営業≠セと思う」
その一方で、ノルマやインセンティブでがんじがらめにする仲介業の売上至上主義には、
ずっと疑問を抱いてきた。
「数字があがらないと、上司はいろいろうるさいことを言う。
でも、ノルマなんていくらでも曲げられるもの。大事なのは、全てお客様のためにと思って仕事すること。
数字のことばかりにこだわり、あとあとお客様に恨まれるような仕事だけは絶対にしたくないし、
部下にもやらせたくない」
最年少で所長に就任 「店で売る」がテーマ
芦沢氏は、平成 14 年6月、現在の綱島店にチーフとして着任。 15 年1月に所長に抜擢された。
ナイスの仲介 11 店舗で、最年少の所長だった。
「さんざん所長は大変だぞ≠ニ脅されて、いまでも、会議で集まればいつも攻撃対象(笑)。
隅で小さくなってますよ」
最年少所長だが、マネジメント哲学には一家言持っている
「店の中の風通しを良くして、みんなで売ろう、店で売ろうと、いつも言っています。
この仕事は、とかく情報を囲い込んで個人プレーにはしってしまい、店としての業績が上がらなくなる。
そうでなく、全員で頑張っていこうと。営業マンに差がつかないことはいいことだと思うし、
数字があがるようになってくれば、もっと楽に仕事に向き合える。仕事がどんどん楽しくなるはずだ」
氷河期のリゾート販売も「まるで夢のような仕事」
芦沢氏は、昭和 42 年神奈川県厚木市生まれ。
小学3年生からソフトボールをはじめ、中学・高校と野球に夢中になる。
成蹊大学に入ってからは、バスケットサークルに籍を置きながら、居酒屋や倉庫整理、
家庭教師など、アルバイト三昧の日々を送った。
「はっきりいって、勉強はほとんどしなかった(笑)。
アルバイトをしながら、友人の家を泊まり歩いていた」。
世はバブル全盛期。就職活動も、今とは比較にならないくらい楽だった。
「私の場合は、消去法。事務職、メーカー、営業だったら、やはり営業向きだろうと。
ナイスを選んだのは、建材部門が主力だったから。でも、決め手だったのは、会社案内に載っていた業績数字。
バブルピークの平成元年度の資料ですから、もう最高でしたから」
ところが、平成3年春入社してみると、厳しい現実が待ち構えていた。バブル崩壊だ。
研修が終わって6月に配属されたのは、熱海と強羅のリゾートマンション販売現場。
リゾート市場はバブル崩壊のあおりを真っ先に受けて、この頃すでに氷河期≠ノ突入していた。
芦沢氏が配属された販売センターも、2階建てのモデルルームにスタッフ5人が詰める立派なものだったが、
週末2日間で来場者が1、2組という有様だった。
ところが、当人は全く気にしなかった。
「上司にもお前、ホント大変だなぁ≠ニ同情されましたけど、楽しくて仕方がなかった。
むしろ夢のような仕事だ≠ニ、感謝したかったくらい」
そんな夢のような日々≠振り返ってもらった。
「平日は、山王や田園調布、横浜の白幡などの高級住宅街でチラシ撒き。
うわぁ、すげーデカい家だなぁ≠ネんて感動しながら。そして、休日は現場に出張。
お客さんなんていらっしゃらないから、6時ちょうどにモデルルームを閉めて、宿泊先に帰る。
一杯やりながら夕食を済ませて、あとは宅建の勉強をしてオヤスミナサイ」
「リゾートマンションですから、お客様に伊豆箱根の景勝地を一通り説明できなければいけない。
だから、空いた時間で山登りをしたり、公園や温泉を巡ってマップを手作りした」
なるほど、売れ行きさえ気にしなければ、夢のような仕事かもしれない
マンションは結局売れずじまいだったが、芦沢氏はこの年の宅建試験に見事合格した。
CATVの立ち上げで1日60件の宅訪こなす
その後は、都市開発事業部(現住宅営業部)で、ファミリーマンションの販売営業を担当。
売れ行きが悪いのはファミリーマンションも同じでさすがの芦沢氏も困ったが、
まだまだ時代がおおらかだった。
「今の販売現場は、売れない、売れないと、遅くまで仕事をしていますけど、
私達の時代は割と早く帰っていました。売れないんだからしようがないじゃないか、と」。
次の転機は、平成5年春にやってきた。ナイスが出資する地元ケーブルテレビ会社
「YOUTV」立ち上げのため、出向メンバー6名に選ばれたのだ。
数千万円の物件を扱う不動産の営業から見れば、毎月数千円の視聴料をお願いするCATVの勧誘など
まるで畑違いの小さな仕事に写るだろう。
ともすれば、やる気を失ったりいじけたりしかねない異動だったが、とことんプラス思考の芦沢氏は違った。
「社長の社運がかかっている≠フ一言に発奮した」。
CATVの資料を抱え、一件一件エリア内の家庭を訪ね歩き、ポスティングや説明を繰り返す。
訪問件数は1日60件を越え、ポスティングは、1千〜2千件に達した。
「(主要エリアの)鶴見区周辺は坂道が多くて、おまけに玄関に行くまでに階段を登らなければならない一軒家ばかり
一日何回階段を上がり下がりしたことか」。
芦沢氏らは、最終的に半年で1千100件の加入契約を取り、
無事YOUTVを船出させた。
結婚7年。気分は新婚時代 超わがまま♂怩ウんにも感謝
芦沢氏は結婚7年。奥さんと子どもの3人暮らし。我孫子にある奥さんのお祖父さんの家に間借り住まいだ。
通勤時間は片道2時間。毎日、奥さんの手弁当持参だ。
その弁当がなんとも質素。冷凍食品のオンパレードで、時にはスパゲッティがドンと乗っているだけとか。
そんな弁当を見た女性社員が「かわいそぉ。こんなお弁当見たことなぁ〜い。信じらんなぁ〜い」
と涙を流して同情したそうだ。
相当つらいと思いきや本人はけろりとしたものだ。
「お金が節約できる。お腹がいっぱいになればいい。女房は長女で、スーパーわがまま。
自分の思ったことを全て通す。普通じゃない。そんな女性だが理解もある。
気持ちは、新婚のときと同じ。俺以外幸せにしてやれない」
奥さんが超わがままなら、芦沢氏は超お人好し。そんな夫婦だから、新鮮でいられるのかもしれない。
RBA髄一のスラッガー
芦沢氏はRBA野球屈指のスラッガーだ。 97キロの巨体から凄まじいパワーを爆発させる。
1試合に2本という試合を何度も見た。
残念ながらデータは残っていないが、通算本塁打数はトップ3に入るだろう。
チームは最近、選手の高齢化が進みなかなか勝ち上がれないが、8回大会ではブロック準優勝もしている強豪だ。
(取材:平成16年 5 月 福岡伸一・牧田司記者)
高いモチベーションで快進撃
野村不動産アーバンネット渋谷青山支店
小坂元浩徳 副支店長
(小坂元さんは、平成16年4月より、本社投資運用事業部でご活躍です)
不動産業界関係者に「いま最も元気な会社は」と問えば、
十中八、九は「野村」と答えるに違いない。
それは「野村不動産」であり「野村不動産アーバンネット」だ。
野村不動産は、分譲するマンションや建売住宅をことごとく即日完売している。
一方「アーバンネット」は、平成13年に分社・独立した流通子会社で、本体に負けない快進撃を続けている。
有能な人材育成・登用と、ネットワーク整備の両輪で、瞬く間に大手仲介トップ3をおびやかす位置に上り詰めた。
そんな同社の基幹店、渋谷青山支店の小坂元浩徳支店長(40)も「仕事はナンバー1」と胸を張って答える。
商社マンから転進 「個人を評価」する方針に共鳴
天職≠ニいう言葉があるが、小坂元氏にとって不動産業がまさに天職かもしれない。
これまで歩んできた人生が、そう告げている。
小坂元氏は中途採用だ。
野村不動産に入社したのは平成6年、31歳のときだ。勤めていた商社の倒産がきっかけだった。
「その商社は、正直言って仕事は楽だった。輸入品全般の卸を中心に、製造・販売も行っていたが、
仕事に変化がなく、スキルアップが望めないと考えていた」。
そんな事を考えていた折の倒産だったので、「転職するにはいい機会だった」。
不動産業界で5、6社の入社試験を受けて、ほとんどOKの返事をもらった。
そのうちの1社に入社を決意。1ヶ月間の研修を受けるまで決まっていた。
ところが、その会社へ入社するまでまだ時間があったのと、
不動産会社に勤める先輩に勧められ「もう1社受けてみては」と野村不動産の面接を受けた。
そこで、即野村不動産への入社を決める。
決め手は「面接を受けたとき、人事担当の方の印象がぎすぎすしていなくて、
個人を明確に評価してくれる会社に思えた」からだ。
人生変えた住宅購入 自分が進んだ道後輩にも
会社の倒産が転職を決断させた直接の理由だが、その遠因というべきことを小坂元氏は経験している。
平成2年、27歳のときだ。両親と同居していた家の売却と戸建ての購入で、不動産業者に接した。
このとき、不動産業に強烈な衝撃を受ける。
私は長男でノホホンとしていたが、住宅購入をきっかけに人生が変わった。
『俺が働いて借金を返してやろう』と」
「住宅購入というものは、現在の家族だけではなく、その後生まれてくる子供など、
引越し先での環境で今後の人間形成、人生観までが変わり、
場合によっては人生のパートナーまでもが新たに生まれる、自分の仕事でお客様の人生に、
場合によっては異なった影響を与えられる夢のある仕事。
これほど存在意義のある仕事はないだろうと、当時から考えていた」。
住宅購入後、すぐに宅建の勉強を始め、1年後に資格を取得した。
「お客様の人生のほとんどを聞いてしまうわけですから、
お客様に心から喜んでいただいたときの満足感は、何物にも代えがたい。
今は営業の一線から外れたが、管理者の立場として、自分が歩んできた道をスタッフに教えていきたい」
秘訣は「時間の使い方」 完結型♂c業マンを育成
小坂元氏は船橋支店で6年間勤務(6年目に副支店長)。
アーバンネットが誕生した平成13年4月に、渋谷青山支店に異動。
グループリーダーを経て、平成14年10月副支店長に就任した。
「歯車の一部≠ノしない、命令で動く組織にしないという、会社のバックアップが大きい。
契約から決済、アフターフォローまで責任を持たせてくれるから、大きな満足感が得られる。やる気も出てくる」
「だから、社員一人一人が、モチベーションを高く持っている。
仕事に自信を持ち、目的意識も高い。われわれの目標は、不動産流通業界のナンバー1ブランドを目指すことだ」
『なぜ野村不動産アーバンネットが元気なのか?』――。
この質問に、小坂元氏はこう答えた。さらに『トップ営業マンの心得』を尋ねると、
「時間の使い方」という答えが返ってきた。
「私の知る限り、当然一部例外もありますが、ダラダラと仕事する営業マンより、
勤務時間の中身の濃い人のほうが成績が良い。
私は、顧客と合う時間を、自分が効率よく動けるように指定≠オてきた。
状況にもよりますが、契約日時も土日ではなく平日にしてきた。
住宅を購入することは、仕事を休まなければならないくらい重要な事です≠ニ。
お客様に向かって時間を指定するなどとんでもない、と思われる方もいるかもしれない。
しかし、一生に幾度とない大きな買い物。お休みを頂いてまで契約いただく行為自体が、
逆にお客様の満足度をさらに上げる場合もある(そこまでして購入したんだという満足感)。
なんでもそうですが、いつでも簡単に買えてしまうモノよりも、苦労をして購入したモノの方が、
満足度も高く、大切に使うケースが多いと思う」
小坂元氏は、とことん顧客主義だ。
「高く売却できた、安く購入いただけただけでは、自己満足の世界に終わる可能性もある。
お客様に本当はもっとどうにかなったのでは≠ニ思われてしまったのでは、満足度も半減してしまうから」
自分の経験を部下にしっかり伝えるため、新人営業マンのOJTは同行営業を中心とする。
「高いところから命令したり、尻を叩くだけではなく、
今どのようなお客様と話を勧めているのかをしっかりと聞いて、対応をロールプレイしながら一緒に考えていく。
安易に答えは与えない。そうすることで、頭と体でしっかり覚えていく」
「利益を生むだけの組織にはしない。どれだけお客様に信頼してもらえる人間にできるかが重要。
営業に必要な資格をできるだけ取らせるようにしているのも、
営業全てが自分でできる自己完結型の営業マンにしたいから。そういう人間なら、
どこに出しても恥ずかしくないし、野村のブランドイメージを引き上げてくれるはず」
3グループ・27名が通常店舗の3倍稼ぐ
アーバンネットの店舗のなかで、特異な営業形態を採っているのが、渋谷青山支店(支店長・大野伸二)だ。
事務所は、渋谷駅から歩いて数分の渋谷クロスタワー(旧東邦生命ビル)4階。
事務所内も全く仲介店舗らしくない。大きな看板も無く、べたべたと貼られた物件情報も見当たらず、
オフィス然としたフロアに応接室が整然と並ぶだけ。この仲介店舗らしくない%ッ店こそ、
通常店舗の3倍を稼ぐ%ッ社を代表する大型店舗の1つだ。
営業エリアは渋谷駅圏を中心に、青山や六本木など港区方面まで。
当然、ユーザーも高額所得者や投資家が多く、スタッフにはそれなりの資質が求められる。
総勢27人の大所帯は、大きく3つのグループに分かれている。
1つは、資産マネジメントを主な仕事としているグループ。
そして、戸建てを中心としたグループ、もう1つがマンション専門グループだ。
支店長、グループリーダーのモチベーションは非常に高い。
RBA野球大会も4強目指す
小坂元氏は、野村不動産時代を通じて、RBA野球では全盛期に主砲として活躍。
ここ3、4年は仕事の都合等もあり出場機会も少なくなったが
「ホームランを3本は打っているはず。仕事はナンバー1、RBA野球もベスト4を目指す」という。
趣味は野球とゴルフ。野球は、高校時代に手首を骨折してから選手生命を絶たれたが、
10年前、地元・船橋で自分のチームを作り、プレイングマネジャーとして活躍している。
「野村不動産アーバンネットより強いかも(笑)」
(取材:平成15年11月 牧田司・福岡伸一記者)
絶好調東栄の斬り込み隊長
東栄住宅首都圏事業部 丹治正義 事業部長
建売住宅のリーディングカンパニー・東栄住宅が絶好調だ。
前1月期決算は大幅増収増益。販売戸数は前期比35%増の3239戸にも達した。
数年前から取り組んできた大型物件が業績アップに寄与した。
その大型で記念碑的物件「調布多摩川」を手がけたのが、首都圏事業部。
同部を率いるのが、丹治正義氏(36)だ。
帝京高校野球部出身で、RBA野球チームの監督も務める。
仕事のこと、野球のことなど大いに語ってもらった。
圧倒的人気呼んだ記念物件「調布多摩川」
「われわれの仕事は、ミンチにでもしないと食べられない肉を
どう調理して食べてもらうかに面白さがあるのですが、
いい肉はそのままステーキにして提供したほうがいい。建売事業も同じ。
建物を建てて売ったほうが達成感はあるのですが、土地のまま分譲して、
お客様それぞれの好みで家を建ててもらうほうがいい場合もある」
「いい素材(立地)をより生かすための工夫も凝らした。
街路・エントランスなどに天然石を貼るとか、樹木は何を植えるかを1棟1棟考え、
外構には1棟当たり250万円もかけた」
同社が昨年分譲して圧倒的な人気を呼んだ
「ブルーミングガーデン調布多摩川」について、丹治氏はこう語る。
バブル期はともかく、1棟当たりの外構費は数十万円、多くても100万円以下が今の相場だ。
同社がいかに外構に力を入れ、差別化を図ったかが分かる。
首都圏事業部は同社の切り込み部隊≠ニして位置付けられており、昨年4月新設されたばかり。
他の事業部・支店が一定の事業エリアを担当しているのに対して、
同事業部はエリアを特定せず、原則としてどこでも手がけるのが特徴だ。
土地情報を得やすくするため、新宿・NSビルに拠点を構えている。
その第一号物件でもあり、失敗は許されない物件だった。
同物件は、京王相模原線多摩川駅から徒歩7分の多摩川河畔に位置する
全100戸の規模。最多価格帯は5600万円台だから価格は安くない。
にもかかわらずあっという間に完売した。好立地を生かし、平均50坪以上、
最大で72坪の敷地面積にするなど思い切った商品企画が奏功した。
ランドスケープデザイナーに数々の優れた団地を手がけている
「ランドスケープデザイン」を起用し街≠つくったのもユーザーに受けた。
「調布多摩川」が圧倒的な人気を呼んだのは、
それまでの販売面での教訓が生かされているからでもある。
「これまでの社内での査定評価ポイントは、建物を何棟建てるかにウエイトが置かれていた。
一昨年分譲した約100戸の『ブルーミングガーデン世田谷上祖師谷』の時も、
利益よりも何棟建てるかに意識があった。やや苦戦もした。
しかし、利益を重視すれば、土地で売ったほうがいいという考えもできるし、
社内の評価査定も利益重視に変更された。
そこで『調布多摩川』は素地で売却して利益を出そう」とも丹治氏は考えた。
ところが、佐々野俊彦社長の「記念事業にするぞ」の一声で、
宅地と建売りをそれぞれ半々にして売ることを決定。それが見事に的中した。
「お客様の立場になって考えろ」
同事業部は仕入れ担当が4人、営業事務が3人、他マンション担当など総勢20人の部署だが、
昨年の販売棟数は約160棟にも上る。一人当たりの売上高にすると11億円近くになる。
関係者なら仰天する数字だ。
成績が優秀だと天狗になるのが世の常だが、丹治氏にはそれがない。
「われわれの仕事は、(土地を売却する)お客さまから生意気だとか、態度が大きいとか、
知識と知恵が一致しないと思われたらおしまい。部下にも口をすっぱくしていっているのですが、
われわれがお金を出すからと強気の態度に出るなんてとんでもない考えだと。
とにかく売る側の立場になってものを考えろと。
しっかりした提案を行って、プロとして認めてもらえるようになれと。
ふんぞり返って対応していれば、そのうちそっぽを向かれたり、
事業化できないような土地ばっかり買わされることになるぞ、と」
厳しい野球人生が仕事で生きる
丹治氏の仕事に対する真摯な姿勢は、小さい頃から経験してきた厳しい野球人生に負うところが多い。
先輩後輩など上下関係が厳しい野球の世界を、人は前近代的なものとして見る。
しかし、丹治氏の話を聞くと、野球はチームワークを大切にする、
連帯感を生む合理的な組織であることが分かってくる。
丹治氏は高校2年のとき、ひざの怪我で野球生活を断念せざるを得なくなる。
3年のとき退部する。しかし、厳しい部活はその後の仕事に生かされてくる。
高校時代の同期の芝草宇宙氏(日本ハム)、奈良原浩氏(同)らとの交流は現在も続けており、
プロのすごさを学んでいる。
「奈良原にしろ芝草にしろ、プロの野球選手はすごい。奈良原なんて体は小さいが、
まだ日ハムのショートを守っている。きつい練習にメソメソ泣いていた芝草は、
まだ1軍で頑張っている。私なんか無理をして、結局身体を壊した。
私が彼らから学んだのは、がむしゃらに仕事をして燃え尽きないようにすること。
3年、5年先、自分は何をやれるかを常に考えること」
道は違っても、奈良原や芝草に負けたくないというプロ根性が丹治氏を支えている。
初出勤の初仕事が灰皿洗い
丹治氏が東栄住宅に入社したのは平成3年。初出勤のその日のことを、いまだに覚えている。
「最初に出勤したその日の朝、何もすることがないので周りの人に
『何をすればいいのですか』と聞いたら、『灰皿を洗え』といわれた。
しかも『手で洗え』といわれた。1日が終わって、やることがなかったので、
また同じ質問をしたら、『何もすることがなければ帰れ』といわれた。
次の日、出勤するとすぐ現場にだされた。仕事は習うより慣れろといわれた」
丹治氏は「いい会社に入った」と思った。指示が簡潔で要領を得ていたからだ。
灰皿を手で洗うことを新鮮に受けとめられる明るさが、丹治氏の持ち味でもある。
それまで丹治氏は、2度転職している。最初はあるデベロッパーだ。
父親が不動産業を営んでいる関係もあって、選んだ道だ。昭和61年のことだ。
その会社は、分譲マンションを中心に、建売住宅やリゾートなど何でもやっていたが、
バブル崩壊で苦境に陥った。
将来性に不安を感じた丹治氏は「マンションは差別化が難しい。一からできる仕事がしたい」と退社。
そこで、ある大手の不動産流通会社に入社するが、肌が合わずに半年でここも退社した。
そして東栄だ。出勤初日の灰皿洗いが、その後の丹治氏の人生を決めるのだから、人生何があるか分からない。
帝京野球部OBがRBAを盛り上げる
丹治氏が率いるRBA野球チームは、昨年予選トーナメントを3連勝で突破しておきながら、
決勝トーナメント初戦で敗退。今年は絶好調の業績そのままに野球も頑張りを見せて欲しい。
丹治氏と同じ帝京高校野球部出身のRBA関係者には大見達也(39、東急リバブル)、
大槻俊彦(38、同)、赤堀勝(39、野村不動産アーバンネット)などの各氏がいる。
野球部ではないが、サッカー部出身の関係者には長島紀征氏(37、東京ミサワホーム)がいる。
(取材:平成16年3月 牧田司記者)
野球は二流でも仕事は一流
三井不動産販売 麻布リアルプランセンター 吉田裕 営業グループ課長
試合に勝った野村不動産アーバンネットも仕事では脱帽
三井不動産販売リアルプランがRBA野球大会に参加して6回目となった今年、予選トーナメントで2勝を挙げた。
勝ったチームは東京建物不動産販売(12対0)と東京ミサワホーム(8対3)。
東京建物不動産販売は通算成績7勝26敗(.212)が示すように強いチームではないが、
東京ミサワは4年前に水曜ブロック準優勝、昨年もベスト4まで勝ち進んだ強豪で、
通算成績も.500のチーム。一方のリアルプランは、昨年までの通算成績2勝17敗(.105)が示す通り、
ほとんど出ると負け、オリンピック精神を発揮するだけのチーム。
そのチームが今年だけで2勝を挙げたのだ。
決勝トーナメント進出をかけた野村不動産アーバンネット戦では1−2と惜敗。
初の決勝T進出を逃したが、決勝打を放ったアーバンネット・磯崎選手をして
「リアルプランさんには仕事でいつも負けているから、せめて野球では勝ちたかった」
と言わしめた。磯崎選手の仕事は本店営業部勤務で、三井リアルプランと同様、
事業用・高額物件の仲介を担当している。
飛ぶ鳥を落とす勢いの野村不動産アーバンネットでさえ「仕事ではいつも負けている」
と脱帽の三井不動産販売リアルプランとはどんな仕事をしているところか、
チームの采配を振るう吉田裕選手兼監督(37)とはどんな人か。
他社に先駆け特化型の店舗展開
リアルプランは、三井不動産販売 ネットワーク の
「 都心部の居住用・事業用・投資用不動産の売買から相続 ・税務 対策、資産の有効活用など
不動産全般にわたるコンサルティング」(同社ホームページより)を主業務とする部隊で、
他社に先駆け平成2年にブランド化。最近の都心回帰の追い風に乗り、
当初西麻布の1店舗でスタートしたのが、今では麻布、青山、 銀座・汐留 、
代々木上原、渋谷、恵比寿、目黒、成城、田園調布の9店舗に増えた。
スタッフは約70人の大所帯だ。
都心部・高額物件に特化しているため、 麻布リアルプランセンターの14年度の平均取扱高は土地・
一戸建てが約2億5000万円、マンションが約1億2000万と郊外型仲介店とは比較にならない高さ。
「高額物件は、以前はうちとケンコーポレーションさんぐらいしか扱っていなかったのですが、
最近は東急リバブルさんとか野村不動産アーバンネットさん、その他の業者さんも積極化しており、
競争が激化している」(吉田氏)が、まだまだ成長の見込める分野だ。
お客様は「新聞の紙面に出ているような人ばかり」
1件当たりの取扱額でも分かる通り、一般的な仲介店舗とは対応する顧客がまるで異なる。
「それこそ、企業トップの方、 毎日新聞に出られている方とか芸能人の方なども多く、
接客には神経を使う。勉強会を絶えず行い、 最低限の知識 だけはしっかり身に付けている。
それと文化。専門的に深くは無理だが、広く浅く知識を身に付けるように努力している
家具など本物かどうか判断できなければ話になりませんから」と吉田氏は言う。
「自宅に招かれたり、レストランなどで食事を誘われたりするときは、
緊張で何を食べているのかサッパリ分からないこともある」
「しかし、ありがたいことです。そんな方に手数料を頂いた上に、
成約時には『ありがとうございます』とお礼まで頂く。感謝しています」
都心回帰の追い風受け絶好調 「絶対的な首位をキープしたい」
業績については「今年はめちゃくちゃいい。この調子で行くと前年をかなり上回れると思います」
と控えめだが、 顔には「目標達成に自身あり」と書いてあった。
「都心で頑張れば三井のイメージも上がるし、郊外店にも波及効果が望める。
この分野では絶対的な首位をキープしたい」。
「 新築はどうしてもそれを売らなければならないが、われわれの仕事はお客様の望むものを探し、
売ればよい。 こんなありがたい仕事はない」ともいう。
ダントツの「ホームページ登録顧客数」
吉田氏は平成2年、三井不動産販売に入社。小石川を皮切りに新宿、麻布リアルプランセンターと、
「都心部一筋に住宅地の売買からはじまり、商業地・ビル仲介、税務相談、有効活用等、
お客様からの数々のご相談を承っております。常に『お客様に感謝される仕事をする』
ことを目標に日々頑張っている」(ホームページ自己紹介より抜粋)。
驚かされるのは、ホームページでの吉田氏の人気の高さ=B
ホームページの営業マン紹介ページ閲覧数は657人だが、
紹介されている全営業マン約70人の中で4番目に多い。
吉田氏より多い3人のうち2人は女性で、吉田氏より多かった男性とはそれほど差はない。
しかし、登録顧客数184人は2人の営業ウーマンを含めても2位以下に大差をつけ、ダントツの多さだ。
やり手♂c業マンにはほど遠い「身長165センチ」の男
ここまで書くと、吉田氏を知らない人は、知的で背が高くて、体ががっちりしていて、
ハンサムな人を連想するだろうが、実際はまるで異なる。
身長165センチ、体重58キロ。写真を見ていただければ分かるように決してイケメン
(イケてる面=ハンサムという意味)ではない。
吉田氏の顔を見るためにアクセスする人が多いとも思えない。
なぜ、そんなにアクセス数が多いのか。本人からは次のようなそっけない声が返ってきた。
「アクセス数は意識したことがありませんが、きっと物件を見て、
担当の営業マンを見ようとアクセスしてくれたのでしょう。
僕が多いのはたまたま『青山ザ・タワー』『霞町パークマンション』
や都心の一戸建など人気物件を担当していたからでしょう。
若い女性にアクセスが多いのは 『広尾ガーデンヒルズ』などの人気マンションを担当していることもあるのかも。
登録顧客が多いのは、僕は『商談やめ』といわれるまでは登録 リストに載せているからでしょう。
他の人はマメに削除しているかもしれません。 僕はその逆で、マメに登録したりしています」と。
――それにしても、大変な数。決してイケメンでないその顔でよくやりますね、
と例によって口の悪い質問をぶつけてみたところ、吉田氏は破顔一笑。
「だからお客様にとっては安心できるのでしょう」と。しかし、仕事に対する姿勢はやはり只者でない。
野球は素人同然 でも全力プレー
仕事同様、野球に対する取り組み姿勢も誠実そのもの。身の丈を十分承知している。
「もともと当社には、三井不動産販売と三井のリハウスチームがあったのですが、
僕らのレベルではレギュラーに入れない。
それで、自分たちのチームを作ろうということから始まったわけです。
僕を含めてみんな素人みたいなもの。でも、みんな大まじめ。
練習は月1回、第2水曜日にやっています。強いチームと当たると萎縮しちゃうのですが、
足りないところはみんなでカバーしよう、相手もエラーすることがあるから手を抜かず全力でプレーしようと」と。
(取材:平成16年10月 牧田司記者)
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