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アキュラホーム カンナ社長こと宮沢社長が自宅を公開


2階と3階の吹き抜け(ほぼ中央に薪ストーブがある。1層の床面積は約40坪。外壁だけで構造を支えており、耐力壁は一切ないという)

 アキュラホームは4月3日、同社のカンナ社長こと宮沢俊哉社長の自宅「桜木町実験棟」を報道陣に公開。宮沢社長は、昨夏には太陽光発電や蓄電池などを搭載して電力会社からの買電ゼロ生活に挑戦したこと、今年には人力で井戸を掘ったこと、再生エネルギーの活用によって現在では年間で約20万円の売電ができていることなどを嬉々として語った。

 宮沢社長が「自立型エコ住宅」と呼ぶ自宅は、JR大宮駅から徒歩約10分、さいたま市桜木町の住宅街の一角に2005年に完成させた3階建て延べ床面積約262u。1階部分は重量鉄骨造で、2、3階が木造の混交造。家族数は宮沢社長と奥さんの2人。

 5.5kwの太陽光発電、太陽熱給湯器、薪ストーブ、4kw hのリチウム蓄電池2台、屋根遮熱塗装、芝生張りのバルコニー、冷蔵庫の排熱、専用太陽光パネルによる換気、誘導換気のほか緑のカーテン、夏建具、すだれ、パーゴラ式庇、風の道、欄間換気などあらゆる仕掛けを施している。

 宮沢社長は「再生エネルギーだけでまかなえる住宅を目指す。井戸掘り工事は無料モニターという形でお客さまにも提案していく」と話した。

   
左からエントランスに設置した井戸、熱交換の実験を行っている井戸(フレキシブル管を利用した宮沢社長の手づくり熱交換器)、植木屋さんにもらった薪

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 この種の取り組みは、いやいややったのでは長続きしない。宮沢社長は、この「自立型エコ住宅」づくりを心底楽しんで実践していることが理解できた。この日は、首都圏を襲った嵐にもかかわらず寒い戸外で延々と井戸掘りについて語った。 

 井戸は2本で、1本は深さが約5m、もう1本は約8mだ。浅いほうは洗車や散水、水遣りなどに使用するのだという。もう1本の深いほうは、外気温に応じて上下する水道水を水温が15〜16℃で一定している井戸に循環させて夏場は冷たく、冬場は温かくする実験も行っている。

 玄関の北側には風を取り込む地窓や通気口を設置し、リビングの湿度が下がりすぎた場合は、浴室の湿気を自動的に取り込めるよう自らが工事を施したこと、京町屋の夏建具を購入して使用していること、市販のブラインドの上部を切り取り採光に工夫を凝らしていること、薪は植木屋さんからもらったこと、Low-Eガラスとペアガラスは使用する個所によって使い分けるべきことなどと話した。

  
2階の庭の芝生(デッキ材より温度を30℃近く下げた)           玄関の北側に設置した通風口

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 取材時間は1時間半ぐらいだったか。聞きたいことがたくさんあったが、宮沢社長は所用のため途中で退席した。

 そんなわけで、やや消化不良だったが、薪ストーブの威力には驚かされた。われわれが見学したのは14時ごろだ。外気温は16℃ だった。薪ストーブは2階リビングに設置されており、価格は約150万円ほど。室温は22.4℃だった。床はまるで床暖房が入っているかのように温かかった。浴室も、リビングほどではないが、寒くはなかった。奥さんによると、13時ごろに点火したというから、1時間ぐらいで部屋は暖まったことになる。2、3階部分で広さは66坪もある。暖気が満遍なく行き渡っているのは外断熱工法と同じぐらいの効果がある屋根遮熱塗料や、誘導換気などのせいだと思ったが、1台の薪ストーブでこれほどの効果があるのにびっくりした。

 薪をくべたり、灰を捨てるのは苦にならないかと思ったが、奥さんは「苦にはなりません。炎は癒しになりますよ。灰? 灰は燃えないゴミとして出します。値段がもっと下がれば普及するはず」と話した。この言葉は宮沢社長に気を使ったのか本心なのかよく読めなかったが、コストなど課題も多いという木質ペレットも含め薪ストーブの将来性が見えたような気がした。やる気になれば集合住宅にも生かせるのではないか。

   
左から薪ストーブ、リチウム蓄電池、京町屋の夏建具 

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 井戸については、「もしかしたら」と淡い期待を抱いていたが、「ダメです。飲めません」と宮沢社長から言下に否定された。水質検査の結果を待つまでもなく、首都圏の都市部で井戸水が飲めるところはほとんどないという。大都市圏では上下水道が完備されているが、地下水の汚染はどこまで進んでいるのだろうと考えると背筋が寒くなる。

 「朝顔につるべ取られてもらい水」は江戸の俳人、加賀の千代女の有名な句だが、記者が生まれ育った三重の田舎では、今から40〜50年前までは必ず1軒に1つの井戸があった。朝顔につるべを取られるというのは、当時でも架空の世界ではなかった。スイカは井戸水で冷やして食べていた。薪ストーブはなかったが、薪割りは子どもの日課だった。灰は貴重な肥料だった。

  
自社製の床材                       浴室からの自動湿度取り込み口

(牧田 司記者 2012年4月4日)