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三井不販 「三井のリハウス物語」発売

売上は東日本大震災義援金に

 

 三井不動産販売は、同社の主力事業である既存住宅流通事業「三井のリハウス」の誕生秘話をノンフィクションでまとめた陣内一徳著「三井のリハウス物語『住みかえ』マーケットを創った男たち」(B6版161ページ、価格:1,470円)を4月20日(水)に丸善出版より発売した。

 同書は、「三井のリハウス」を中心に、不動産流通マーケットの創出、不動産仲介業の近代化の過程を、当時の関係者のインタビューをもとに、物語としてまとめたもの。同書の同社売上全額を東日本大震災義援金として寄付する予定。

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 早速、この本を読んだ。昭和50年代からバブルが崩壊する平成2年あたりまで、三井不動産販売が誕生し成長していく過程をドキュメンタリータッチでつづられている。個人的には、もう少し時代を絞り、登場人物も少なくして、「人の三井」たる所以を活写して欲しかった。重要な役割を果たしたと思われる「弥生会」や「第一不動産グループ」についてももう少し紙面を割いて欲しかった。

 それでも江戸英雄、坪井東、枝村利一、椙杜康紘、倉泉信夫、高田哲臣、大室康一、中谷健太郎、岩崎芳史、竹井英久各氏(順不同)など、これまでほとんど不動産流通を取材してこなかった記者にとっても懐かしい方や、現在も経営の中枢を担っている方もいる。登場人物は30人をくだらないだろう。

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 面白いのは、「リハウス」が誕生する秘話だ。CIを導入する過程でネーミングをどうするかについて「リハウス(rehouse)」と「リブタップ(Live it up)」の2案が残ったが、英語に堪能な当時の坪井社長は「リハウス」に強行に反対したという。坪井社長は「リハウス」は他動詞だからブランドに使用するなら「ing」を付けて名詞にしろと言ったそうだ。

 「リハウス」を推していた当時の責任者、故・村田彰二課長は直談判に出掛けた。坪井社長と村田課長が話し合っている最中に、枝村氏が部屋に入ってきて、事情を察知した枝村氏が坪井社長に「やらせてみてはいかがですか」と助け舟を出し、「君がそこまでいうのなら…」と「リハウス」が決定したのだという。

 「リハウス」のロゴに用いられている深紅は100パターン以上インクの調合を変えて誕生したのだという。

 また、「宮沢りえを世に出したのは自分だ、と語る人間が、三井不動産販売には五人ぐらいいる」と大室氏が語っているのも面白い。

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 「リハウス」誕生秘話は面白いが、三菱地所のマンションブランド「パークハウス」(現在は「ザ・パークハウス」)のネーミングもまた面白い。一般的には「パーク(park)」は、日本人なら真っ先に「公園」を連想する。同社の昭和45年の第一号マンション「赤坂パークマンション」の「パーク」も担当者は「公園」と考えていた。

 ところが、当時の経営トップ(会長の故・渡辺武次郎氏か社長の故・中田乙一氏か)は「おお、そうだ。マンションには駐車場(park)が必要だ」と語ったことから即決されたと、記者は同社の幹部から聞いたことがある。真偽のほどは分からない。

(牧田 司 記者 2011年4月22日)