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記者も食べた 国交省「被災産地応援キャンペーン」定食


被災地の食材を用いた定食(このほか味噌汁とご飯がつく)


 既報の通り、国土交通省は4月15日(金)から東日本大震災及び福島第一原発事故による風評被害に遭った地域を支援するため、中央合同庁舎第3号館(国土交通省)内の食堂や売店などテナント事業者の協力を得て、被災産地応援キャンペーンを開始した。テナントの食堂などが福島県産、茨城県産、栃木県産、群馬県産、千葉県産の食材を積極的に調達・使用し、これら地域の農産物などの安全性をPRする。記者は19日、体験取材した。

 体験取材したのは、3号館地下1階にある食堂。営業するのは「ニッコクトラスト」。マネージャーの玉村壽嗣氏は「始まったばかりですが、大きな問題はありません。毎日、昼は約600人、夜は約300人が利用されます。利用者はほとんど国交省の職員なので、キャンペーンで利用者が増減することもないと思います。中には敬遠される人もいるかもしれないが、理解されているはず」と話した。

 キャンペーンの仕掛け人、同省大臣官房福利厚生課課長補佐・福島稔氏は「きっかけは仙石(由人内閣官房副長官)さんだと思いますが、全省庁の半分ぐらいがスタートさせた。隣の2号館でもやっています。私も率先して食べています。みんなで被災地を支援したい」と語った。

 同じ部署の事業第一係長・佐藤清美さんは「毎日利用しています。今日もピーマン、大根が入った定食を残さず食べました」と語り、問題はなさそうだ。

 この日、食材に利用されたのは長ネギ、白菜、ピーマン、水菜(茨城)、もやし、春菊(栃木)、大和芋、胡瓜(群馬)、大根、カブ、糸ミツ葉、ニラ、小松菜(千葉)だった。


福島氏(左)と玉村氏

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 記者が食べたのは、佐藤さんが食べたのと同じ500円の「A定食」。被災地のピーマンと大根が入っているとのことだった。「蒲焼」の言葉があったので、「うなぎの蒲焼」だろうと思って食べた。しかし、うなぎにしては小さい骨があるし、味がやはり違う。いくら国交省の食堂だからといって500円でうなぎが食べられるわけがない。被災地の食材より、メインの食材の産地が気になった。それでも残してはならないと思い食べたら、最後に魚の尻尾が出てきた。「ン? 」 あとでメニューを確かめたら、「うなぎ」ではなく「さんま蒲焼」と書いてあった。

 ピーマンは、テンプラにしたもので、やや硬かった。記者は生でも食べられる。大根は、切干大根だったから、これは震災前に収穫したものだろうと思った。ご飯はどこの産か分からないが、おいしかった。

 食堂利用者にも話を聞いた。職員ではない民間の30歳代のサラリーマン2人組の1人は、「やはり気になる。まだ子どもがいないので、僕は(被災地の食材は)食べない」(遺伝子を気にしているようだが、むしろこの人のDNAが気になった=記者注)と語り、もう1人は「僕は全然気にならない。出されたものを食べるだけ」と話した。

 国交省の労働組合の専従員という40歳代の男性は、「(キャンペーンのことを)全然知らなかった。政府の基準値が正しいのかどうか疑問もあるが、風評被害をなくすのは大事なこと」と語っていた。記者と同じ「さんまの蒲焼」を食べていた。

  
食堂のメニュー(キャンペーンのチラシも入っている)と食堂 

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 国交省の食堂を利用するのは久々だった。感心したのは、職員は午後1時を過ぎると極端に人が少なくなることだった。食事の時間ぐらい自由に取ればいいと思うが、しっかり働いているのだろう。

 酒類は販売していないのも驚いた。「職員は頭脳集団。シンクタンク」と言ったのは元冬柴大臣だったような気がする。被災地の復興で国交省の果たす役割は大きい。不眠不休の毎日になるのではないか。「さんま」もいいが、たまには「うなぎ」を食べ、気仙沼の「マグロ」や被災地の地酒も飲んで欲しい。

 同省のほか総務省、警察庁が入居する2号館にはビールが売られていた。メニューも国交省より値段が高いものが多いような印象を受けた。

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 ついでながら、国交省の職員にいまよく読まれている本を紹介しよう。地下売店の本屋に掲げられた手書きの「ベストセラー」によると、トップは「極北クレイマー」(朝日文庫)。ナンバー2は「国会議員の仕事」(中公新書)、ナンバー3は「決着」(光文社文庫)だ。7位には「図解気象学入門」(講談社新書)、8位に「日本は没落する」(朝日文庫)が入っている。

 記者は、いわゆる「ベストセラー」はほとんど読まないのでどのような本か全然分からないが、「国会議員の仕事」は、決して「自分もなろう」という上昇志向ではなく「反面教師」としての「教本」として読まれれているのを願っている。 

(牧田 司 記者 2011年4月19日)