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「『人の前に明かりを灯す』京急に想う」 がんばれ京急

 本日(3月31日)、弊社の朝礼で久米信廣代表がある社員の「『人の前に明かりを灯す』京急に想う」と題するメールを紹介した。全文を紹介する。

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 先日、震災後すぐの14日午前中に、若干二十歳で一人住まいをしている甥を確認しに川崎に赴きました。

 JR が運休していたため、大江戸線、山手線、京急と乗り継ぎ・運行しているかを確認しながらの移動でした。川崎では京急が計画停電で15:30より運休との事で現地には2時間弱しか滞在出来ず、甥と昼食を摂り必需品を買うと別れました。

 帰りの京急の中では甥の確認がとれた後だったのでやっと緊張から解きほぐれ、回りの状況が目に映ってきました。

 震災後すぐだと言うのに京急は普段と同じスピードで疾走し運行していました。思えば京急は昔から運行時間の短縮に労力を掛け、また、台風などで各線が軒並み運休する中でも京急だけは動いていると利用客の支持を得ています。

 今回も京急のお陰で自分は甥に会う事が出来ました。非常時だから京急を頼もしく感じましたが、平常時から京急にとってはスタンダードなハードルの高さが、非常時にも生かされているのだと気が付きました。京急が自分達の出来る事を当たり前にいつでも一生懸命している姿に頭が下がりました。

 自分が社会人として働く中、自分の出来る事を一生懸命やり通し続ける事で、自分の知らない所で、自分の知らない人が幸せを感じる事になる、「人の前に明かりを灯す」事に繋がると知りました。

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 このメールを書いた社員を記者は知らない。もちろん個人情報に当たるから久米も名前を公表しなかった。ある程度の年齢だとは想像がつく。

 記者が驚いたのは、京急が「普段と同じスピードで疾走」していたというくだりだった。もう7〜8年昔になるが、記者は京浜急行・京急不動産の人と歓談していて、京急電車がほとんど遅延もないということを聞いた。電車に遅延はつきものだが、京急はそれがないというのに驚いたのだが、さらに驚いたのは、記者と同席していたもう一人の記者が「ドアが閉まったとたん、加速が早くて隣のドアのところまで吹っ飛んだ」という話をしたことだった。

 聞いていた京急の関係者は笑いながら、それを否定しなかった。「終点に早く着きすぎて国交省に怒られたことがある」ことまで明かした。そして、なぜ遅延がないか、なぜ速い(早い)かの理由を説明した。最大の理由は、他の私鉄と異なり、京急はJRと並行して運行しているところが多く、競争に打ち勝つためには決められた時間に着くことが至上命令だというのだ。

 なるほどと思った。 JR にしろ私鉄にしろ通勤時の遅延は当たり前だと思っているが、京急はそうではないということに驚くとともに感心した。

 京急は単にJR と競争しているというハンディに加え、「京浜急行」という社名そのものにもハンディがある。かつて同社は「京浜電気鉄道と湘南電気鉄道」があったそうだ。戦後、東急から小田急電鉄、京王帝都電鉄とともに分離されて「京浜急行電鉄」が誕生した。「湘南」といい社名をつける案もあったそうだが、なぜ「京浜」になったのかは分からない。

 JRは逆に「湘南新宿ライン」を走らせ、沿線のお客を根こそぎ奪おうとしている。「湘南新宿ライン」は、栃木県宇都宮や群馬県高崎ともつながっており、「湘南」エリアよりはるかに長い距離を他のエリアで走るが、これは独禁法違反にはならないのか。京急は国際空港の成田とも羽田ともつながっているではないか。まさに「ジャパンライン」だ。こんな鉄道会社は他にない。

 今の人はどうか分からないが、われわれの世代は「京浜」といえば、京浜コンビナートであり、労働争議のメッカというイメージが強い。駅名にも「京急蒲田」があるし「生麦事件」を思い出す「生麦」もある。古い住宅街を走っているためか、「糀谷(こうじや)」「雑色(ぞうしき)」「八丁畷(はっちょうなわて)」「弘明寺(ぐみょうじ)」「逸見(へみ)」「安針塚(あんじんづか)」など読みづらい駅名も多い。「平和島」といういい駅名もあるが、一般的には競艇場のある場所として知られる。

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 ことほどさように、「京浜急行」は損な役回りをさせられている。最近は「京浜急行」でなく「京急」をアピールしているのもよくわかる。だからこそ、支援もしたくなる。同社は、京急大師線港町駅前で約3.6haに及ぶ「多摩川リバーサイド地区整備構想」を進めており、第一弾となる「リヴァリエ」455戸の分譲を開始する。モデルルームができたら真っ先に掛け付けレポートしたい。

(牧田 司 記者 2011年3月31日)