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第21回 RBA 野球大会 中国大使杯 総合優勝戦(3月19日)から

「パパを越えよ 将之くん」

三井不動産前監督の故大町裕之さんの遺児が始球式

 三井不動産野球部の投手・監督としてRBA野球でも活躍された大町裕之さんが昨年12月、病気のため44歳の若さで急逝した。RBA久米信廣・大会委員長は、大町さんの功績を記憶にとどめるため、大町さんの長男の遺児、大町将之くん (10歳、小学4年生 ) を3月19日、東京ドームで行われた清水建設−旭化成ホームズの総合優勝戦に招き、始球式を行った。

 将之くんは背番号9でマウンドに登場。ワンバウンドながら力のある球を旭化成ホームズの山本名捕手に投げ込んだ。

 将之くんは、裕之さんが居住地のリトルリーグチーム「世田谷インディアンス」の監督に就任した小学3年生のときに同チームに加入。ライトとして活躍中だ。

 ドームで投げた感想を聞かれると「気持ちよかった」と目を輝かせた将之くん。関係者は、左腕から投げる威力のある投球に「お父さんを超えるかも」と期待を寄せている。所属するチームで「レギュラーになれるかどうかはビミョー(微妙)。でも、大きくなっても野球をやりたい」と語った。好きなプロ野球チームは「巨人」。「(巨人ファンの)パパに刷り込まれちゃったのよね」(お母さんの由美子さん)とのことだった。

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 近畿学生リーグで首位打者の実績を持つ故大町さんはRBA野球大会第1回大会から参加。プロの誘いを拒否し、「野球は趣味で」という名言を残して三井不動産に入社した志村亮投手とともに投手として活躍。ノーヒットノーランを達成するなどの活躍で2度の日曜ブロック優勝に導き、オーストラリアに遠征して地元の少年に野球を教えた。

 同社チーム監督には平成8年〜18年まで務めた。オーソドックスな采配が特徴で、選手の自主性に任せ、ミスをしてもほとんど怒らなかった。

 第17回のRBA野球大会の対コスモスイニシア戦では、選手不足からやむなく自らも9番1塁手として出場。2回に同点に追いつく適時打を放ち、4回には左翼越え本塁打でリード点を挙げるなど3打数2安打2打点の活躍、3−2の勝利に貢献した。試合後は「木下(当時のエース)がナイスピッチング。僕の本塁打はまぐれ」と破顔一笑した。

 監督時代の成績は42勝18敗、勝率7割。日曜ブロック優勝2回、準優勝2回、4強入り5回と華々しい成績を残した。第19回大会から工藤朋之氏に監督の座を譲った。

  
大町将之くん(捕手は旭化成ホームズ山本選手)

(牧田 司記者 2010年3月23日)