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「日本一の上品な下町」人形町界隈

久松商事・外川隆康社長


外川社長

 

 久々にマンションの取材で人形町を訪れた。ここ数年で街は様変わりしていた。中高層マンションがたくさん建ち、「トルナーレ日本橋浜町」(43階建て全369戸)「リガーレ日本橋人形町」(39階建て全247戸)の2棟のUR都市機構の賃貸マンションも完成していた。人の流れも一変していた。人形町、浜町界隈の人口は10年前の約7,600人から約11,700人へと約54%も増加している。

 街に賑わいが増すのは結構なことだが、一方で、昔の街並みが壊されていくのに残念にも思った。そこで、不動産のプロはどう考えているのか。人形町駅から歩いて数分、日本橋久松町に店舗を構える老舗不動産会社、久松商事の外川隆康社長(58)に話を聞いた。

 久松商事は昭和30年創業。現会長の外川裕康氏(88)が個人事業として立ち上げた。その後、同50年に株式会社として設立、現在に至っている。外川社長は、不動産流通経営協会の理事を務めており、昨年までは昭和35年に設立されて以来50年の歴史がある不動産会社の協業団体「東京都不動産のれん会」の代表を務めている。日本橋久松町会の副会長でもある。老舗ユニフォームメーカーの「ボンマックス」の外川雄一社長は従兄弟。

 ――街並みが一変している。古き良き時代が壊されていくとは思わないか

 「私は、ここに小学3年まで住み、市川に引越ししてからも小学4年まで半年間学校に通った。当時は地下鉄なんかないから、JR浅草橋で降りて通うのだが、ラッシュ時の混雑で降りられないから秋葉原で降りて通った。駅から20分もかかった。

 大学を卒業してから数年間はゼネコンに勤務したが、昭和54年からずっとここで働いてきた。小学校時代の周囲の建物はみんな 2 階建て。商店や料理店が建ち並んでいた。その後数十年が過ぎ、ビルやマンションラッシュで確かに街並みが一変した。この10年間はとくにその傾向が強い。

 しかし、私は古き良き時代を懐かしむようでは街の発展はないと考える。確かに、昔は問屋さんのオーナーが問屋に土地を売って、また問屋が買うという循環があってうまく商売ができた。いまは商売のあり方が変わった。オーナーがマンションデベロッパーに土地を売ると、デベロッパーは小口化(マンション)にして個人がお客さんになる。

 回転がきかなくなった。商売をすればするほどお客さん(オーナー)が減っていく。自分の首をしめるようなものだと忸怩たる思いは確かにある。

 しかし、もともとここは人が住んでいた街。単身者・DINKSが住むようになり、ファミリーも増えてきた。緑もあり、文化もある。スーパーも八百屋も回転寿司もある。事務所隣りの久松小学校は都内一の公立名門校。

 私は、ここは日本一の上品な下町≠セと思っている。古い街並みを残しつつ新しい街をつくっていくことは矛盾しない。近く分譲される 2 つのマンションは当社が土地をまとめたものだ」

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 ご存知ない方もいるかもしれないが、「東京都不動産のれん会」は、もっとも歴史が古い不動産団体の一つだ。開発業あり、ビル・賃貸業あり、流通業ありで業種を超えた横断的な団体として知られてきた。久松商事のほか、かじやま商事、神田土地建物、トーセイ、日神不動産、山京商事や、三井リハウス西東京、住友不動産販売も会員だ。設立当初の会員数は約40社だったが、現在は約50社。毎月の情報交換会は欠かさず実施しており、旅行、ゴルフコンペなどもさかんに行っている。

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 人形焼で有名な人形町亀井堂の店頭に「 天下り許しませんべい」が売られていた。同店のヒット商品のようで、瓦せんべいに似顔絵を焼きこんだものだった。スタッフへの土産に買おうかと思ったがやめた。似顔絵は民主党の小沢一郎氏、管直人氏、岡田卓也氏の3人だったからだ。この3人の似顔絵が描かれたせんべいなどだれも食べないだろうと考え直した。結局、人形焼を買った。

 嫌味な質問だと思ったが、店の女性販売員に「こんなせんべい、売れるんですか」と聞いた。一瞬、間があったが、その女性から見事な返しがあった。「(せんべいを)壊すためにも買われるのがいいんじゃないですか」と。粉々に砕いて食べるなり、すずめの餌にするのもいいという意味に受け取った。

 さすが130年の歴史がある老舗。販売員のウイットにおそれいった。益々人形町が好きになった。

(牧田 司 記者 2010年2月26日)