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混沌とする「かんぽの宿」売却問題

もっと根源的なホスピタリティ問うべき

 

 「かんぽの宿」問題の行方が混沌としてきた。契約が解除されたばかりか、鳩山総務省は売却しない可能性も示唆した。果たして、入札をやり直せば109億円を上回るのか。個別売却の場合は、売れ残ったらどうするのか、従業員の雇用はどうなるのか。売却しないとなれば業務委託が考えられるが、長期にわたって赤字を垂れ流してきた施設が劇的に収益改善されるのか……などなど不安は多い。

 記者は、それ以前にもっと根本的な「旅館業」のあり方、ホスピタリティについて考えないと問題の解決にはならないような気がしてならない。オリックス不動産がこれらの問題を解決し、新しいビジネスモデルを構築してくれると期待していたのだが…。

◇     ◆    ◇

 作家の宮本輝氏が小説「森のなかの海」(光文社刊)で次のように書いている。長いが面白いので読んでいただきたい

 「旅館ではなくホテルに泊まりたいという父の強い要望の根拠は、もう二十年も前からの日本旅館に対する不満の強さによっていた。

 父はどこのだれが履いたかわからないスリッパを履かなくてはならないのが、まず気にいらないという。

 二十年前、水虫を染されたのは、旅館で履いたスリッパに違いないと思っていた。

 『あの水虫を完全に治すのに丸三年かかったんだぜ。それで俺は、仕事先で旅館に泊まるときは自分のスリッパを持っていくようにしたんだ。それを履いて大浴場へ行ったら、他の客が間違えたのか、それとも盗みやがったのか、俺のスリッパが失くなっていた』

 ………

 『それに、旅館に着くなり、夕食は何時にするかって仲居さんが訊くだろう? 訊かれたから、腹具合と相談して、八時からにしてもらいたいって言ったら、うちは七時半までになってますって、じゃあ、何時に夕食をとるかなんて訊かなきゃいいんだろう。七時半までに食えって暗に命令されるのと一緒だよ。そしてだ、出てきた料理の量…。俺は人間なんだよ。一人の人間の胃袋に入る量には限りってものがあるんだ。前菜から魚料理から、煮物、吸物、箸休め、肉、天麩羅、ご飯…。一人前全部を集めてみろ。バケツに一杯くらいあるよ。でも、板前さんが丹精込めて作ったんだからって、無理して食ってると、早く食えって言わんばかりに蒲団を敷きに着やがる。その蒲団もだ、敷き蒲団のシーツは新しいけど、掛け蒲団のカバーは替えていない。どこの誰ともわからない人間の体臭が染み込んでる。さらにだ…』

 希美子は、ソファに座って茶を飲みながら笑った。父が日本の旅館のことを喋りだすと、とどまることがないことを知っていたからだが、何かよほど腹にすえかねる一件があったはずだと思ってしまうのだった。

 『朝食は何時になさいますかって訊きやがる。せっかくの旅だから、ゆっくり寝ようと思って、ほんとは十時ぐらいにって言いたいところを、またいやそうな顔をされちゃ不愉快と思って、九時にお願いしますって頼んだら、うちは八時までに朝食をとっていただくことになっています、だ。じゃあ、朝食はいらないって言うと、できれば九時には蒲団を片づけたいって』

 ……廊下で酔っ払いが騒いで眠れなかった。

 帰るとき、そこの主人に、こんなやり方をしていたら、一度来た客は二度と来なくなりますよと言ってやった。すると、その主人は平然と言い返した。

 『日本には一億二千万人もの人間がいるんですよ。その一億二千万人がそれぞれ一回だけ来たら、それでいいんですよ。なにも二度も三度も来てくれなくてもねェ』

 十年前といえば、異常な好景気で日本中がおかしくなっていたころだった。

 『その旅館、去年の秋、つぶれたんだ。ざまあみろってんだ。そこの朝食は、玉子焼き、鰻の白焼き、鴨肉の燻製、伊勢海老の活造り、デザートにチョコレート・ムースだよ。信じられるか? この卵は何とかっていうところの地鶏卵で、この鰻は何とか川の天然物で、鴨肉はどこそこから取り寄せたものでって、えらそうに講釈しやがって、お前ら、こんないいもの食ったことないだろうって顔してた。…』

 さらに父はつづけた。

 『バブルがはじけて、客が減ると、少しは考えを変えるかと思ってたら、こんどは値段を下げて団体客を呼ぶことに躍起となり、従業員を減らして、夜の十時を過ぎたら廊下の明かりを消すようになった。俺は生涯、旅館なんかには泊まらんぞ。旅館しかないようなところには行かないんだ』」

◇    ◆    ◇

 これは小説だが、記者も実際に同じような嫌な経験を何度もしている。朝早くたたき起こされるのは毎度のことだ。宿泊料が高いことで知られるある高名な旅館でも、チェックアウトは10時だった。真冬に暖房設備が故障して震え上がったこともあるが、旅館は何の対応もしなかった。生卵が原因で食中毒にかかったこともある。記者も極力、旅館には泊まらないことにしている。

 かんぽの宿に宿泊したことは千葉・鴨川に一度だけある。どのような施設だったかは記憶にないが、料金だけはかなり安かったということは覚えている。民間に業務委託された年金施設にも宿泊したことがあるが、そのレベルの低さには驚いたことがある。業務委託を受けた民間の支配人が旧従業員のホスピタリティの欠如を嘆いていた。

 かんぽの宿にもホスピタリティの高い施設はあるかもしれないが、採算を度外視してきた施設だけに、高いホスピタリティを求めるのは酷というものだ。従業員教育もしっかりやってこなかったということは容易に想像がつく。宮本氏の小説と五十歩百歩といってはいい過ぎだろうか。

 施設を売却した場合、ホスピタリティの何たるかを教わってこなかった従業員の再教育には大変なエネルギーが必要になってくるはずだ。3200人もの従業員を雇う人件費は年間何百億円だろう。鳩山総務省はこの問題をどのように考えるのだろうか。

 単に売却価格が高いとか安いとかだけで論議すべきではないと考えるがどうだろうか。いま各自治体が進めている指定管理者制度も同様の危険性をはらんでいる。委託コスト(入札価格)が低ければいいということではないはずだ。

比類なきホスピタリティの高さリッツカールトン 記者も体感(2007/4/2)

驚愕したマンダリンホテルのホスピタリティ(2007/2/2)

(牧田 司 記者 2月18日)