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元大京専務 木原稔氏 マンションの顧客主義を語る

「仕入れ−建築−営業の三位一体の体制築け」

 元大京専務のケイボストン社長・木原稔氏(70)と歓談する機会があった。木原氏は、記者とあるマンションデベロッパーの仕入れ担当部長にこう言った。

 「みんな、高値を追及しているが、もっとユーザーの立場でものを考えないといけない。営業がしゃかりきになって売る時代じゃない。営業のやることはほかにある。購入された方とその後長いお付き合いをするようなビジネスをしなければならない。価格を抑えるには、仕入れが頑張らなければならない」と。

 木原氏は大京時代、マンション用地を仕入れる際には周辺の商店を回り、飲めないのに飲み屋に立ち寄り、民家の洗濯物を眺めたという。全てはユーザーの懐具合やトレンドを把握するためだ。

 同時に「商品企画を含めた建築部門もユーザー・営業のことをもっと学ばなければならない。建築バカでは生き残れない」と、仕入れ−建築−営業が三位一体となり、ユーザーがすすんで購入するようなマンションをつくらなければならない」と強調した。

 「目いっぱい高値をつけるより8分目あたりにとどめ、残りの2分はユーザーのために残して置け」とも語った。

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 木原氏は大京を退社して12年が経過するが、同社が倒産の危機から脱し、マンション供給トップの会社まで登りつめるまでの期間、同社に在籍した幹部の1人だ。

 第1次オイルショック後、大京(当時大京観光)は倒産の危機に見舞われた。当時の横山修二社長は木原氏を含む数人の幹部を集め「持たないかもしれない。覚悟してくれ」と語ったそうだ。木原氏は当時をこう振り返る。「まさに八甲田山。絶体絶命のピンチにたたされた。そこで踏ん張れたのは組織力だった」と。

 その組織力が、別荘分譲から撤退しマンション分譲に切り替え、倒産の危機から脱するどころか他社に追随を許さないマンション供給トップに登りつめる原動力になった。

 かつてマンション業界で「頭脳(商品企画)の三井、足腰(営業力)の大京」と呼ばれたように、大京はけた外れの営業力が注目された。営業マンは毎日、重さ数キロのカバンを持ち飛び込み営業≠行った。小便に血が混じっていた∞電車の中で立ちながら眠った≠ニいう話もよく聞いた。それでも頑張れたのは、横山社長を核とする組織力だったわけだ。

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 木原氏は、葉隠発祥の地、佐賀県生まれで、生き方も武士道そのものだ。武勇伝がいくつもある。電気会社を経て同社に入社した30歳のとき、他の新入社員100人ぐらいと一緒に歓迎会が開かれた。下戸(全く飲めないわけではない)の木原氏は、みんなにビールを注いで回る横山社長が木原氏のコップにビールを注ごうとしたとき、コップを手で覆い注がれることを拒んだ。

 一瞬、場が凍りついた。横山社長は激怒した。「俺の酒が飲めないか」と。木原氏の返答がまたすごい。「私は酒で出世したくありません」

 入社後、営業成績をあげ幹部に出世するが、「私にやらせてください」と、誰もが尻込みするクレーム処理を率先して担当したという。訪問先で日本刀を突きつけられたこともあるという。しかし、木原氏はひるまなかった。クレームにこそ利益を生む源泉がある≠実践した。

 こんな話も聞いた。マンションの供給など全くなかった首都圏郊外で営業活動をしたときだ。地元を隈なく回っても、マンションを買える所得層の家庭はほとんどいなかった。そこで木原氏は考えた。周辺の町工場を歩き、パート募集をしているところを探し出した。

 そして、お客さまにはこう言ったのだそうだ。「お客さん、お宅のご主人の年収だけではマンションは購入できません。奥さん、あの工場がパートを募集しています。あそこで働いてローン返済に充てませんか」と。

 お客さんのふところに飛び込まないとできない営業だ。木原氏は、訪問先で家に上がりこんでは冷蔵庫の中を開けさせてもらえるぐらい親密な関係を築き上げたという。

 断っておくが、このような商法は今の時代では考えられないことかもしれないが、昭和50年代、60年代の前半までは当たり前だった。ユーザーも六畳一間に一家が住み、家を購入するため飲まず食わずで働いた時代だった。

 横山社長が経営不振の責任をとって退任した平成9年11月30日、当時の役員の中でただ1人同社を退職したのが木原氏だ。58歳だった。その後、ケイボストンを立ち上げて現在にいたっている。

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 記者が今読んでいる小説、澤田ふじ子著「雁の橋」(幻冬舎文庫)で、澤田氏は富山薬売り商人に託してこう綴っている。

 「商人が儲けばかり考えてたら、あきまへんねんで。ほかさまはともかく、越中富山の薬についていえば、ほんまはお客さまのご用がないほうがええのどすわ。世の中のお人たちに、少しは必要とされてますさかい、ちょっとお役に立て、そのうえお飯を食べさせてもらえたら結構やとして、わたしらの商いは成り立っているんどす。何事もお客さまあっての商い、お得意さまを大切にせななりまへん…お得意さまが今年は 1 つも薬を使うてくれはらんでも、長生きしてもろうたら、そのうち一服ぐらい薬を飲んでくれはりますわ。商いは気を急かせてやってはいけまへん。そんなんしてたら、そのうちきっとしくじりをしてしまいます。商いのこつは気長にすること。それが富山売薬の先用後利の考えどすけど、なんの商売でも、こんな気持ちが大事なんとちがいますか」

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 マンション業界は、富山薬売りの「先用後利」と全く逆のことを考えてはいまいか。木原氏の話と澤田氏の小説は、マンション事業に参考になるはずだ。

(牧田 司 記者 12月10日)