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ポラス40周年記念式典 大きい中内セイコさんの存在


ポラス40周年記念式典(帝国ホテルで)

  
ポラテック中内社長        ポラス大久保社長


 ポラスは11月19日、「ポラス創立40周年記念式典」を帝国ホテルで開いた。関係者ら約400人が集まった。

 式典は二部構成で、一部の式典の冒頭に挨拶に立ったポラテック・中内晃次郎社長は、 17 年に亡くなった父親でもある先代社長・中内俊三氏の創業時からの事業に触れながら「(父が)病に倒れたときはみんなでどうしようと思ったが、とにかく信頼される会社、大きい会社よりつぶれない会社にし、地域密着を貫くのが先代社長の遺志を引き継ぐことだと考えて事業展開してきた。このように 40 周年の式典を開けるのは感激の至り」と語った。

 二部では、ポラス大久保浩成社長が、今期売り上げ目標1,600億円、経常利益60億円達成に意欲を見せた後「グループ全体で社員数は2,000人。1人当たり売上げ1億円、合計2,000億円の目標は社内では常識になりつつある」と中期的な目標を掲げた。

 式典には、日本木造住宅産業協会会長・矢野龍氏(住友林業社長)、日本合板商業組合理事長・吉田繁氏(JKホールディングス会長)、双日会長・土橋昭夫氏らが祝辞を述べた。

 また、土橋氏とニチメン時代同期だったポラテック常務・北大路康信氏は、プレカット事業は量的拡大から質の時代へ、ハードからソフトへの転換が求められており、顧客の個別のニーズに応えられるよう木造の分野ではこれまでない構造設計事務所を目指すとし、12月に中国・天津に新会社を立ち上げると語った。

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中内セイコさん

 記者は、中内俊三氏が亡くなられたとき、ポラスは四分五裂するのではないだろうかとも思った。同社グループは、強烈な中内氏の指導力の下、各事業部が競いあうようにして成長してきた。成長の原動力は社内競合にあった。求心力を失ったポラスは、糸が切れた風船のようになるのではないかと思った。

 ところがそうはならなかった。逆に挙党一致′拒ゥ力は強まったように映った。ポラス大久保社長、ポラテック中内社長らそれぞれの役割分担を明確にし、業績を伸ばしてきた。

 正直、なぜ、そのようなことができたのかずっと不思議に思ってきた。その疑問が今日氷解した。

 そのとき、記者の目は釘付けになった。ポラテック北大路康信常務に挨拶をしようと、400人も集まった会食制のテーブルを縫って主賓席に向かったときだった。

 そのテーブル席には中央住宅マインドスクエア事業部長・金児正治氏、ポラス暮し科学研究所・ 菅原康光所長、ポラス・松沢博マーケティング部課長ら幹部が座っていたのだが、その中でもひと際輝いている女性がいた。背筋をきりっと伸ばし、絞りの和服姿で座っていた。オーラが漂っていた。名札には「中内セイコ様」とあった。

 同社グループ社員は中内セイコさんのことを「母のような存在」と呼ぶ意味がそのとき瞬時に分かった。それほど存在感のある人だった。四分五裂を防いだのはセイコさんの存在も大きかったと理解した。

 記者は、自分の名刺を差し出しサインを求めた。セイコさんは、名刺の裏に小さな端正な字で「中内セイコ」と書いた。中央ではなく、下方中央に1文字ずつ等間隔に書いた。何事も控えめな人となりが分かるようだ。

 このあと、同社の幹部の1人が面白いエピソードを紹介してくれた。「融資を依頼された銀行マンが中内社長宅を訪ねたとき、中内社長ではなく奥さん(セイコさん)を見て融資を決めた」と。

 人は年輪を重ねるごとに輝きを増す人がいる。中内セイコさんもそうした人だ。


中内セイコさんと同じテーブル席につける栄誉に浴した同社幹部

(牧田 司 記者 11月20日)