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業界の名物男、広報の鏡<|ラス明石氏の退任に思う


報道陣を前に最後の挨拶をされる明石氏(右端)

 

 ポラスの都内初のモデルハウス「アルジール」&「和美庵」の記者発表会があった6月15日、先日の6月11日付でポラス執行役員広報部長を役員定年で退任した業界の名物男、広報の鏡*セ石雅史氏が報道陣に最後の挨拶を行った。明石氏は「広報活動に40年。ポラスには14年間お世話になったが、ブランドイメージの確立に貢献できたことが嬉しい。これからもポラスを盛り立てていただきたい」と語った。

 記者は記者生活30余年だが、先輩記者から「広報などと仲良くなるな。ろくな記事が書けなくなる」とよく言われた。その通りにした積りだ。広報マンもそうだが、同業の記者とも仲良しにはならなかった。しかし、明石氏は数少ない例外だった。図らずとも、すぐに好きになってしまった。

 明石氏のような気さくな広報マンを他に知らない。いつも笑顔が先にあった。好きになると本音で話ができるから、いい取材もできた。記事に困ったときは、同社に頼めば何とかなった。忘れられないのは「当社には綺羅星のごとく優秀な人材がいる」という言葉だった。

 明石氏は東大卒などをおくびにも出さなかった。おそらく明石氏はどのようなレベルの人とも同じレベルで接することができるのだろう。記者が優越感を味わえたのは、明石氏が万年Bクラスの阪神ファンで、記者が西鉄−西武ファンであることぐらいだった(日本シリーズで完璧に打ちのめされたのは今でも忘れないが)。

 耐力壁ジャパンカップ、越谷阿波踊りなどではよく一緒に酒も飲んだ。同社野球部の決起集会≠ノも参加させていただいた。記事にはできない面白いエピソードもたくさん聞いた。

 冒頭に業界の名物男、広報の鏡≠ニ書いたが、これは決してお世辞ではない。広報の役割である水先案内人をものの見事に務め上げた人だ。その明石氏が去られるのは寂しいが、明石氏が残した財産をポラスがしっかりと引き継いでくれることを期待したい。

(牧田 司 記者 6月16日)