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 「綺羅星 団塊力」

三井不動産販売「相創の場」ゼネラル・マネジャー伊藤正裕氏(59−中


伊藤正裕氏

 

人生も仕事も愛

SOHOマンションのはしり「ルネ御苑プラザ」

 昭和61年、総合地所が分譲して圧倒的な人気を呼んだマンション「ルネ御苑プラザ」の企画にも参加した。東京メトロ丸の内線新宿御苑駅に近い14階建て全303戸の規模で、店舗、事務所、賃貸、分譲からなる複合マンションだ。伊藤氏が企画から販売を担当した。設計は日建ハウジングシステムで、今で言うSOHOマンションの走りだった。

 ただ、当時の周辺環境は歓楽街で、ビジネス立地ではなかった。そこで当時ようやく流行り出したCATV・キャプテンなど情報技術を取り入れ、ニューメディアマンションを創り上げたのだ。

 画期的なマンションを商品化・分譲して得たものは大きかった。伊藤氏は、購入者の多くが単独ではなく、共有して購入していることに着目したのだ。それぞれのお客様が、自分の財布にあわせて買っている。それならいっそ初めから一定の単位に分けておき、好きなだけ買っていただいたらいいのでは。「当時、証券化のスキームはまだなかった。このマンションをきっかけに証券化の研究を始めた」

航空機の小口商品化を企図

 その経験を基に後年取り組んだのが、航空機の小口化商品だった。100億円の航空機を1口1億円に小口化して投資家に分譲しようというものだった。構想当時、ビルやホテルの小口化商品はあったが、航空機を小口化商品にし、オペレーティングリースを組成しようというところなどは全くなかった。

 伊藤氏らは具体的な購入飛行機を決め、発注寸前までこぎつけていた。ところが、「フセインさんが戦争を始めて(平成2年の湾岸戦争)世界の旅客需要は激減。計画はおじゃんになった。不動産屋が言うのも何ですが、不動産投資に比べると全てが減価償却の航空機は魅力的でしたね」という。

「勝ちや負けよりは、アウフヘーベンする」

 伊藤氏は静岡県沼津市出身。団塊世代がみんなそうだったように、激しい受験戦争を体験、 1浪して慶応大学文学部仏文科に進学した。国立を落っこちちゃったので、親には迷惑をかけました。興味を持ったのは言語学」

 伊藤氏はルソーからカント、ヘーゲル、マルクス、ソシュール、チョムスキー、スターリンまで次々と哲学者の名前をあげ、難しい持論を開陳しだした。早口でまくし立てるから、記者は全然何のことを話しているか理解できなかった。「僕は、人と争うのが嫌なので、なるべくアウフヘーベンさせ解決するよう努力しています」

 アウフヘーベン≠ニは、ヘーゲルが編み出した弁証法に用いられる言葉で、テーゼ(命題)−アンチテーゼ(反命題)−アウフヘーベン(止揚)などの言葉が、伊藤氏が学生だった頃に流行した。ヘーゲルの観念論的弁証法は、マルクス・エンゲルスの唯物弁証法の登場によって退けられた。

 伊藤氏は、社内でも学者のような人≠ニ呼ばれているそうだが、もはや死語と化しているアウフヘーベンなる言葉が伊藤氏の口から飛び出したのには、記者も驚き、30年も前の自分が思い出された。

 

(牧田 司記者 3月14日)

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