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蒲田がきれいになる 大田区がマスタープラン策定へ


蒲田駅東口(右の上昇気流≠フモニュメントもかすんで見える)

 

かつてのファッションの街≠ニほど遠い現実

 大田区蒲田で取材する機会があった。時間が余ったので街を歩くことにした。蒲田駅圏はマンションの少ないエリアで、蒲田本社のデベロッパーを取材する以外にはほとんど駅には降りたことがない。そして、降りるたびに思ったのは汚い街≠セった。

 今回、街を歩いてそれが間違っていないことを再認識した。

 蒲田駅には東口と西口があり、それぞれ駅前に広いロータリーがある。しかし、駅を降りてすぐ目の前に飛び込んでくるのは赤、青、黄、緑…けばけばしい原色のサラ金、テレクラ、キャバレー、マンガ喫茶などの看板だ。場末の街なら分かるが、大田区の中心地の光景だ。何だか人間の恥部、欲望の塊を見せつけられるようだ。

 ロータリーには上昇気流≠ニ名づけられた立派なモニュメントもあるのだが、この景色を見せられると、気分は滅入る一方、下降する一方だ。

 樹木も萎縮して元気がない。区の木でもある街路樹のクスノキやケヤキの幹は細く、背も低く、枝ぶりも小さい。そのように映るのは景気のせいでも、寒さのせいでも断じてない。(馬鹿をいうなと怒る方もいるかもしれないが、実際、蒲田の街はそんな街だ)

 昼時だったので、大好きなラーメンを食べることにした。注文したのは坦々麺。値段は620円と読めた。これは安い≠ニ思った。しかし、これが不味かった。記者は少食だが、ラーメンだけは意地汚く汁まですする。さすがにこれは3分の1残した。

 お勘定を頼んだら420円頂きます≠ニきた。えっ、値段が違いますよ≠ニ口先まで出かかったが、もう1人の私はたかがラーメン、黙っていろ≠ニささやいた。双方がせめぎあったのは一瞬だった。もちろん黙っていろ≠ノ軍配が上がった。

 料金を払い、そそくさと店を出た。後ろからお客さん、代金を間違えました≠ニいう声がしないことを祈った。外に出て、看板をもう一度よく見た。値段を間違えたのではなかった。坦々麺とタンメンを記者が勘違いしていたのだ。

 それにしても安い。この前、新宿で食べたのと比べ半額だった。そうか、ここは値段の安さで勝負する街か∞食べたほうが悪い≠ニ自分を納得させた。

 食べものだけならまだいい。肝心の駅から5分の中古マンションの単価は200万円もしなかった。大森山王の半値か、せいぜい3分の2の評価でしかない。

◇      ◆     ◇

 しかし、もともと蒲田はそんな街ではなかったはずだ。記者の年代は、京浜工場地帯や蒲田事件など暗いイメージしか持っていないが、かつてはファッションは蒲田から生まれる≠ニいわれた松竹キネマ撮影所があった。文化の発信基地だった。蒲田は東京の西の銀座≠セったという人もいる。

 さらに区内の馬込一帯は馬込文士村≠ニ呼ばれたように、名だたる作家、芸術家などが住んでいた。その数は数百人にも及ぶはずだ。つまり明治から大正、昭和の時代を通じて、大田区こそが文化、芸術の中心地だった。田園調布を筆頭に、大森山王、洗足などどこにも負けない住宅地もある。羽田空港もある。

 激化する都市間競争の中で、これほど大きな武器を持っているところは他にない。

 同じ京浜工業地帯だった川崎は街が一変した。マンション単価は倍にはね上がった。大崎、品川、田町、鶴見、新子安、武蔵小杉…みんな再開発で街が変わりつつある。どうして蒲田だけがとり残されているのか――このように考えるのは記者だけでないようだ。

 大田区は、犯罪のまち∞汚い街≠ニいうイメージを払拭するため、看板の色彩、大きさなどを規制する景観条例を含めた都市マスタープランを2年後に策定するという。近く、その素案も公表されるはずだ。

 どこにも負けない活気ある街にして欲しいものだ。区の関係者は「ロータリーはJRさんがほとんど土地を所有されている。JRさんが動かないと何もできない」というが、それなら双方で価値が飛躍的に伸びる施設を造ればいい。このままでは、間違いなく蒲田後進曲≠ノなってしまう。エスカレータ付きの駅前区役所庁舎は、現在の風景に似合わない。

(牧田 司 記者 12月10日)