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歴史は繰り返す――バブルから何を学んだのか

 

 「広尾ガーデンヒルズ」分譲開始は坪251万円

バブルのピークアウト時には坪3000万円

 昨夏の米国サブプライムローン問題をきっかけに、わが国の不動産市場は泥沼の様相を呈している。わが国のバブル崩壊から18年。歴史は繰り返すというが、米国はわが国のバブル崩壊を全然学習していなかったということであり、わが国も流動化事業≠ネる言葉で、一部の不動産が転がしの対象となったのは事実だ。もう一度、わが国のバブルとは何だったのかを検証してみよう。

 ただし、バブルを生んだ背景、経緯などについては、これまでもたくさん書籍が発行されているのでそれらを読んでいただきたい。ここでは、不動産業界も含めいかにわが国が愚かしいことをやっていたかを紹介する。今回は、当時、マネーゲームの格好のターゲットになった「広尾ガーデンヒルズ」を取り上げる。

 「広尾ガーデンヒルズ」は、東京メトロ日比谷線広尾駅前の日赤病院跡地約6.6ヘクタールに建設された高級マンションで、昭和57から61年まで4〜14階建て全15棟1228戸が分譲・建設された。売主は三井不動産、三菱地所、住友不動産、第一生命の4社で、施工は鹿島建設、清水建設、大林組、大成建設、三井建設、三菱建設の6社。

 「広尾ガーデンヒルズ」の分譲動向は次の通りだ。

販売時期  分譲ソーン       戸数    最多価格帯  坪単価
57/11    イーストヒル       227戸     7300万円台  251万円
58/4     ノースヒルL棟      94戸     7400万円台  254万円
58/9     ノースヒルNO棟    188戸     7800万円台  262万円
59/2・6   センターヒルGH棟  162戸     9600万円台  292万円
59/2・9   ウエストヒルIJK棟  272戸     6800万円台  262万円
60/4     サウスヒルD棟      79戸   1億2900万円台  426万円
60/9     サウスヒルF棟      63戸   1億6000万円台  420万円

 1期187戸の専有面積は約44〜156平方b、価格は3590万〜1億5770万円(最多価格帯7500万円台)、坪単価は251万円だった。抽選は57年11月9日に行われ、最高209倍、平均40.8倍で即日完売した。来場者は4754組だから、来場者の2倍近い人が申し込んだ計算になる(ダミーで申し込んだ人が相当数あったため)。

 申込者の属性は、@年齢は35〜60歳で、ほぼ5歳刻みで同じ比率A年収は800万円台〜1億5000万円台が約半数B居住地は城南、城西が35%、その他都内が24%C職業は大手企業の管理職以上、会社経営者、医者、外国人、弁護士、不動産、サービス業などD買い換えは約60%――などとなっていた。来場者の4人に1人はベンツなど外車での来場だった。

 記者は、抽選日当日、午前10時から午後2時過ぎまで、現地販売事務所の外で一人一人にインタビュー取材をしている。当時は、現在と異なり、1戸1戸、おみくじの要領で抽選が行われており、申込者が200〜300人詰め掛けていた。

 ほとんどの人が外れて帰る中、7000万円台の住戸を引き当てた銀座クラブの独身の美人ママ(39歳)が興奮気味に次のように語ったのを記事にしている。

 「7000万円台のマンションが当たりました。嬉しくって歓声を上げそうになったのですが、周囲の人に悪いと思い、トイレに駆け込んで喜びをかみしめました。私、今日が39歳の誕生日なんです。資金計画? 四谷の30坪のマンションを売れば何とかなります。これで4回目の買い替えです。現地には30回ぐらい足を運びました」

 記事の見出しには「その時、銀座クラブの美人ママはトイレに駆け込んで歓びをかみしめた」と書いた。(その記事を載せた新聞を持っていけば、ただで飲ませてくれると思ったが、店の名前を聞くのを忘れて地団太を踏んだのを覚えている)

 当時のマンション市場は最悪で、月間契約率は50%ぐらいだった。値下げ販売が日常茶飯だった。単価的には、準都心部では百数十万円、郊外だと100万円台の前半が相場だった。「広尾」は都心の一等地ということを考慮すると、坪当たり数十万円は割安と言われていた。

 「広尾」の最終分譲が行われたのは昭和60年だが、単価は426万円と1期分時様から1.6倍に上昇した。これは駅にもっとも近い立地条件のよいところで、分譲住戸がほとんど億ションだったからでもあるが、国土法価格もかなり上昇していることを裏づけている。アングラでは「広尾」は当時、分譲単価を上回る坪500万円、600万円で取引されていたといわれた。

 マンション転がし≠ニいう言葉が生まれたのもこの頃だ。当時、中古マンションを買い取り、内装などを手直しして売却する買い取り仲介はよく行われていたが、マンション転がし≠ヘ、買ったままでその価格に2〜3割の利益を乗せて転売するという新手の手法だ。大手のマンションデベロッパーもこの種の濡れ手に泡¥、法に手を染めた。買い取り物件だけでも月間100億円をつぎ込んでいるといわれたデベロッパーがあった。

 「広尾」は、このマンション転がしの格好のターゲットとなった。記者は、片っ端から登記簿を閲覧して転売状況を調べたことがあるが、1棟で10戸ぐらい購入しては転売しているところがあった。

 信じられないかもしれないが、バブルがピークアウトする平成2年には、何と坪3000万円の値がつけられた。1期分譲の10倍を超える値段が付けられたのだ。

 マネーゲームの対象となったのは、「広尾」のような高級マンションだけでなかった。ほとんど全ての一般的な新築マンションや中古マンションが投資の対象となった。信じられないような話を改めて次回に紹介する。

(牧田 司 記者 10月27日)