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野村不動産ホールディングス前会長

中野淳一氏の訃報に接して

 

記者がもっとも尊敬するデベロッパー社長の1人

〜野村不動産を劇的に変えた男〜

 つい先ほど、野村不動産ホールディングス前会長・社長、野村不動産相談役の中野淳一氏の訃報に接した。亡くなられたのは本日(23日)午前4時15分。肺癌のためという。享年68歳。

 ショックを受けた。まさかと思った。中野氏は、記者がもっとも尊敬するデベロッパーの社長の1人だった。野村證券専務から野村不動産専務に就任されたのが平成4年。同7年6月、社長に就任された。就任直後、インタビューにうかがったが、その人柄に接しこの会社は伸びる≠ニ直感したものだ。

 当時、広報活動でもお世話になっていた北村章氏(現・野村不動産アーバンネット社長)も「うちの会社は変るよ」と、眼を輝かせて語っていたのは今でも忘れられない。人心をしっかり掌握されているな≠ニ感じたものだ。

 その後の同社の伸長ぶりは言うまでもない。同社を劇的に変えた男といっても過言ではないだろう。経営資源を首都圏に集中、いま一つ伸び悩んでいた同社を今日の立派な会社に育て上げた。マンションプランドプラウド≠ヘ、どこにも負けないトップブランドに伸ばした。中野氏がいなくてはできなかったと、記者は思っている。

 数年前から体調が思わしくないのは、お聞きしなくても分かった。しかし、まさか急逝されるとは…。

 今年4月27日、同社グループの記者懇親会でお会いしたのが最後となってしまった。中野氏には、「中野さん、野村さんを立派に育て上げられたのは中野さんです。ぜひ、ゆっくり苦労話など聞かせてください」とお願いしたところ、「僕はいつでも暇。秘書など通さなくてもいいから来ていいよ。お茶でも飲もう」と言って頂いた。

 それなのに、記者はお伺いしなかった。後悔先に立たずとはこのことを言うのだろう。悔やんでも悔やみきれない。 もう、あのだみ声が聞けないとは…。

 中野さん、安らかにお眠りください         

(合掌)

 

(牧田 司記者 8月23日)

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